2024年12月29日日曜日
拾い読み日記 313
一年が終わりにむかう、このごろの街の雰囲気が、きらいではない。終わりがあって、はじまりがある。自分もあたらしくなって、また何かをはじめられそうな気がする。
先日、一年ぶりに演劇を見にいった。永井愛作「こんばんは、父さん」。廃業した町の工場を舞台にした、切羽詰まった父と息子と借金取りのやりとりは、すばらしくおもしろくて、濃密で、見て、よかった。
永井愛さんのつくる劇には、人間に、人間らしくあってほしい、という願いがこめられている気がする。社会のなかで生きる人間には、ままならないことも、どうにもできないこともあるけれど、自分の心身と、自分の人生を、ないがしろにしない気持ちがあれば、そのうち、事態は変わっていく。光がさしてくる瞬間が、きっとおとずれる。永井さんの舞台を見にいくようになって、しだいに、そんなふうに思うようになった。本と同じように、演劇のことばも、ゆっくりと届くものなのだと思う。
劇が終わって、暗くなって、ぱっとライトがついた瞬間、魔法がとけたような、さみしい気持ちになった。もっとあの3人を見ていたかったのに、いなくなってしまった。
かわりにあらわれた3人の役者は、それぞれ、役の人生を生ききって、ほんとうにいい顔をしていた。
「いい人生を」。またひとつ、わすれられない言葉がふえた。
サイコロ状の木片に、ランダムにひらがなが貼ってある「もんじろう」というゲームを買った。ころころ転がして、言葉を組み合わせてあそんでいると、夢中になる。昨日は、食後に、Mといっしょにあそんだ。1分以内に、どれだけひらがな3文字以上の単語がつくれるか、というあそびである。目に入った「こ」と「う」と「ん」とで、咄嗟に単語をつくったら、ふたりとも笑いがとまらなくなり、それしかつくれなかった。無念だった。なぜ、もうひとつ「う」を見つけて、「こううん」にしなかったのだろう。それに、あとからかんがえると、「うこん」だって、よかったのだ。
リディア・デイヴィス『話の終わり』を読みすすめる。とてもおもしろいのだが、おそらく昨日よんだ一節のせいで、明け方、とても怖い夢をみた。
2024年12月23日月曜日
拾い読み日記 312
また 川を見に
行こう と考える
いま それ以上の ことを
考えることができない
血のことを 考えるよりも
川のことを考える
ほうがよい
日本には ついに
思想らしい思想は 生れないのか、
と悲しみながら
風の日の しめ切った あつい
電車に乗っている。
きみは悲劇的な
死者たちばかりを愛している。
飯島耕一「川と河」より
どうしてこの詩のこの一節に惹かれたのかはわからないが、書きうつしておきたいと思った。声に出して読んでみた。一字空きと、改行のしかたが、今の気持ちに、合っていたのかもしれない。詩を読むことは、つかのま、ひとの呼吸で、いきることにひとしいと思う。
突然、米津玄師のことが気になって、「さよーならまたいつか!」のMVをみた。これまでほとんど興味がなかったのに、何度かみているうちに、表情や声や仕草に、じぶんでも不思議なくらいひきつけられた。こんなに赤い上下が似合うひとが、ほかにいるだろうか?
「100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!」。
知らねえけれど、という言葉が、みょうに、いいのだった。解放感がある。
一昨日から、ネットでニュースをみるのをやめた。Xをみるのもやめた。
そのかわりに、新聞をとりはじめた。新聞が、朝と、午後に届くことの、ありがたさ。紙をめくって、読む。読み終えて、紙をたたむ。そのよさを、ずうっと忘れていた。
2024年12月5日木曜日
近況
十田撓子さんの詩集『あさつなぎ』刊行記念展にご来場のみなさま、ありがとうございました。本は、ひきつづき、Titleにありますので、ぜひ、見ていただけたらうれしいです。
2階の窓から入る光で詩集がかがやいていたようすを、ときおり思いだしています。
秋田市の喫茶店「交点」では、3回にわたって、朗読とトークのイベントが開催されています。
今は、造形作家の宮下香代さんと、本をつくっています。香代さんの作品にあわせて、詩、俳句、随筆、歌をえらび、組んでみました。
一年ぶりに印刷機もうごかす予定です。うまく刷れますように……。
くわしくは、あらためてお知らせします。
それから、明日発売の『群像』1月号に、エッセイ「放たれたページ」を寄稿しました。
どうして日記が書けなくなったのか、たぶん、もろもろのしごとで心身をつかいはたしたから、というのもあると思いますが、書いたらすぐに公開、という速さも、自分に合っていないのかもしれない、と思うようになりました。速さ、だけでなく、かんたんさ、ということにも、多少のうたがいがあります。(といいながら、書きたくなったら、また書きます。)
つくるだけでなく、つくったものを、どんなふうに手にしてもらいたいのか、どんなふうに読んでもらいたいのか、そこまで、できるだけかんがえて、活動をつづけていこうと思います。だいじなのは、自由な気持ちでいられるかどうか。自分のリズムとやりかたを、これからも、さぐりながら。
12月になったのに、まだあまり寒くなくて、ふしぎな冬です。風に舞う葉や、路上の落ち葉がうつくしいので、ぼうっと眺めたりしています。
2024年11月14日木曜日
拾い読み日記 311
このところ、激しい感情の波に溺れかけていたようで、心身を消耗した。
珈琲をのみながら、メイ・サートンの『独り居の日記』を開いて、読んだ。読むのは、どこでもよかった。
波がしずまりつつあるのを感じた。いきているかぎりは、このように、こころに嵐がやってきて、去って、というのを、くりかえすのだろう。
展示がおわったことと、卓球の大会で入賞したことの打ち上げで、Mと、昼も夜もビールをのんだ。
そう書いてから、2週間くらい経っただろうか。
今日は、朝、パンケーキを焼いてたべた。窓から見える欅の木が色づきはじめていて、眺めているだけで、幸福を感じた。
すっかり気持ちもおちついている。
亡くなったとつたえ聞いた、ふるい友人のことを、書いて、消した。
2024年11月9日土曜日
2024年10月8日火曜日
あさつなぎ
十田撓子さんの新詩集『あさつなぎ』の刊行記念展を10月25日から荻窪のTitleで開催します。
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秋田県鹿角市に生まれ育った詩人、十田撓子は、土地の記憶と、美しく、時に厳しい鹿角の自然に育まれた幼年時代の心象風景を大切にしながら、ひとつひとつの詩を紡いでいます。H氏賞を受賞した第一詩集『銘度利加』から7年、新詩集『あさつなぎ』の刊行を記念して、関連する写真や地図、原稿などを展示いたします。
日時=2024年10月25日(金)~11月12日(火) 10月30日(水)、11月5日(火)、6日(水)休み
12時〜19時30分 (日曜:19時まで、31日:18時まで、最終日:17時まで)
会場=Title 2階ギャラリー(東京都杉並区桃井1-5-2)
◎朗読/トークイベント
朗読:十田撓子 トーク:宇野邦一
・日時:10月31日(木)19時30分〜(21時終了予定) 開場19時
・会場:Title 1階特設スペース
・料金:2500円
・定員:25名
◎十田撓子『あさつなぎ』11月刊 編集・造本:山元伸子(ヒロイヨミ社) 発行:Le Petit Nomade
詳細はTitleのウェブサイトをごらんください。
2024年9月15日日曜日
拾い読み日記 310
一冊の本は、無数の決断で出来ている。決断、もしくは、断念。これは、誰の言葉だったろうか。ある迷いから、本棚から本を取りだしては開いて、やみくもにページをめくっていた。とても、疲れた。
あの日、博物館に向かっていたときは、まだ、怒りがあった。だいぶ、よわってはいたが、その怒りによって、やりとげる力が得られたような気がした。
しかし、博物館から出て、カフェに入り、ビールをのみながら、空を見上げてちいさな飛行機の影を目で追っているときに、ある思いが、降りてきた。
こころを濁らせてはいけない。
かれにとっては、一片の土地の住民と小さな虫たちの苦痛こそが問題なのであった。この小さな存在がかれの「連帯」の相手であった。(市村弘正『小さなものの諸形態』)
小さな存在として、小さな存在のために、あたえられたからだとこころを使うこと。
2024年9月12日木曜日
洋書まつり 2024
今年も、洋書まつりのチラシをデザインしました。
本のポスターをつくるときは、本ってなんだろう、なんだったっけ、ということを、かたちからかんがえる(そして、わからなくなる)のですが、その作業が、たのしいです。
今年は、こういうかたちが、出てきました。
洋書まつりは、新刊も古本もある、洋書のバーゲンフェアです。きっと、未知のものにふれられます。
10月18日と19日、東京古書会館で開催されますので、お時間がありましたら、ぜひ。
今は、十田撓子さんの第二詩集を作っています。
発行者は宮岡秀行さんで、わたしは、編集・制作、デザイン、組版をやっています。
刊行にあわせて、10月13日に、秋田県鹿角市の大湯でイベントがあります。
東京では、10月25日から、荻窪のTitleで、刊行記念展を開催します。会期中に、朗読/トークイベントもあります。
くわしいことは、あらためてお知らせしますので、どうぞよろしくお願いします。
2024年9月1日日曜日
拾い読み日記 309
弱った蟬が、びびび、ぶぶぶと音を立てて、力なく飛びまわっている。夜の廊下で、まるで、取り乱した人みたいに。どうしたものか、いや、どうもできない、と通り過ぎようとしたとき、蟬が、服の、裾のほうにとまった。じっとしている。あわてずに、さわがずに、蟬を服につけたまま歩き出すと、やがて、飛び去った。蟬に、柱か壁だとかんちがいされたのだろうか。すくなくとも、危害を加えるものではないと思われたことは、たしかだろう。かんちがいされたことが、すこし、うれしかった。
眠りが浅く、深夜2時ごろ目が覚めてしまう。暗いなかで目をつむっていても、いっこうに眠気はおとずれない。
もうくりかえし読んでいる杉浦日向子『YASUJI東京』を、また読む。
井上安治が小林清親に入門した雪の日を描いたページがとても好きで、じいっとその白い風景のなかに入りこむように見ていると、こころが、おちついた。しんしんとしずけさが降りつもり、まぶたにも胸にもあたまにも白がひろがって、ようやく眠れた。
2024年8月22日木曜日
拾い読み日記 308
二日続けてプールにいく。
Mといっしょにいくのは一年ぶりだ。泳ぎ方について、アドバイスをもらう。クロールは、顔を前に向けて、眉毛で水を切るイメージで。背泳ぎは、手をできるだけ遠くに伸ばして。クロールも背泳ぎも、水を掻くときは肩を大きく使う。平泳ぎは、よくわからないとのこと。バタフライは? やってみせて、といったら拒まれる。ドルフィンキックというのを、ちょっとだけ教えてもらい、バタフライ、できるかも? と思ってやろうとしたら、おぼれかけた。いつか、できるようになりたい。
先が気になって読むのをやめられない、という読書は、夏にふさわしい。そもそも、本との関係のはじまりは、こういうものだった。物語のなかに入りこみ、おぼれるように、ただ、読むこと。そこには「本」も「わたし」もない。
『ISSUE 中川李枝子 冒険のはじまり』を読んだ。「何が一番幸せでしたか?」「たくさん本が読めたこと」。あとがきの言葉を、いいなあ、素敵だなあ、とあたまのなかでくりかえしている。
2024年8月20日火曜日
拾い読み日記 307
部屋を出て、階段を降りると、死んだ虫をたびたび見かける。蟬、蛾、コガネムシ、カメムシ、トンボ、などなど。死に場所に、ここは、ちょうどいいのだろうか。今朝は、蟬が、3匹も死んでいた。もう、夏も終わりに向かっている。
やるべきこと、考えなければならないことが多くて、やや鬱屈してきたようなので、午前中、プールで泳いだ。午前中に泳ぐのは、一年ぶりだった。朝の光が水底でゆらゆらゆれてかがやくので、泳ぐより、それをずうっと見ていたかった。水という不定型なものによって、やわらかなかたちができて、重なり、つながって、模様ができているようすが、おもしろかった。それから、水にうかんで、空や木を眺めたりした。
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読んだ。『クララとお日さま』もひといきに読んだが、これも、読み始めたら止まらなかった。イシグロは、小説を書くのが、異常にうまい、と思った。
人間ではない(とされる)ものの回想によって、物語は進んでいく。回想という行為には、どこか、淋しさや喪失感をともなうものだが、彼女たちは、人間によって振りまわされ、都合よく使われ、「使命を終えた」あとは、なすすべもなくすてられる運命にあるのだから、よけいに、切なかった。
読んだあと、表紙がくるんと反りかえった文庫本を見て、Mが、おもしろいことをいった。反った紙が、やあ、といって挙げた手に見える、と。おもしろかった? 本にそう聞かれたら、迷わず、うん、とっても、と答えよう。
2024年7月23日火曜日
カフカを読みながら
丸田麻保子さんの詩集『カフカを読みながら』(思潮社)の装幀をしました。(高遠弘美さんの本では「装訂」でしたが、思潮社では、「装幀」です。)
装画は鈴木いづみさん。編集は藤井一乃さんです。
この詩集を手にした人のこころに、すっとなじむかたちになっていたら、さいわいです。わたしも、また、しずかなきもちになって、ひとつひとつ、詩篇をたどっていきたいと思います。
表題作「カフカを読みながら」のように、この詩集を読みながら(読んだあと)眠ったら、夢をみました。夢のなかで、9年も前になくなった人のことを心配していて、起きてから、もう、心配しなくていいのだとわかって、すこし、ほっとしました。目がさめたとき、喪失感もあったけれど、ひさしぶりに会えたようなふわっとした感じもあって、微妙に混乱していて、なんだか、詩集のなかにはいりこんだような夢でした。
それから、夢をみることと読むことの類似について、とりとめもなく、かんがえていました。
鈴木いづみさんの作品展「誰にも知られずに」が、代々木上原のapril shopにて、まもなく開催されます。
また、小縞山いうさんと鈴木いづみさんの本『しるすされない』(デザインしました)も、取り扱いのお店が増えましたので、お知らせします。
どこかで手にしていただけたら、うれしいです。
2024年7月21日日曜日
拾い読み日記 306
昨日、異常に暑い体育館で試合があった。朝から16時ごろまで。6試合やって、2勝4敗だった。暑さでどうにかなりそうだったが、水をたくさんのんで、隙を見てロビーで涼んで、どうにか、のりきった。
いいラリーができると、楽しい。知らない人と、息を合わせて、複雑な踊りを踊りきったような達成感がある。それから、一体感のようなもの。来歴のわからない、同年代か、もっと年上の女性たちと真正面から向かい合って、球を打ち合うことが、好きなのだと思う。同志、というとたぶんおおげさだが、そんな感じ。みな、つよい気持ちをもって、ひとりで、「ここ」に、立っている。不安と緊張のなかで、自分の持っている力を、すべて出し尽くしたいと思う。力は、自分だけで出すものではなくて、相手によって引き出されるものだということが、よくわかる。応えたい、と思う。
田中真知『風をとおすレッスン』を読み進める。自分のなかにいるさまざまな「わたし」の存在に、思いを馳せる。悪霊になりかけている「わたし」も自分の大切な一部である、というくだりを読んで、そうか、と思った。わたしの悪霊を、追い払うのでなく、よろこばせるもの、なだめるものを、ひとつでも、見つけていくことが、できればいい。もしかしたら、卓球もそのひとつかもしれない。
2024年7月18日木曜日
拾い読み日記 305
疲れきって眠っても朝まで眠りが続かず、午前2時ごろに目をさます日が続いていたので、このところは、昼間に眠気がおとずれたら、積極的に、眠るようにしている。眠りの波に、すうっと身をまかせ、ただよいにいくイメージで、寝床にはいる。
筋肉の痛みも、ようやく取れてきた。ただ、まだ、右肩に、少し痛みが残っている。
長時間バスにのって、知り合いの家にいく夢をみた。その家で、ふと、足もとを見ると、右と左の靴が違っている。右足にはヒールのあるブーツを、左足にはスニーカーか何かを履いていて、おどろいた。どうしてここまで気がつかなかったのか、と思った。
昼寝からさめて、詩集を開いた。「午睡」の連作があったので、読む。(ぼう、ぼう、)という文字を見たとき、よみがえった音がある。うなるような、低い、かすかな歌声。耳の中で鳴っていたのか、遠くから聞こえていたのか、わからない。
あたまの中に、あたらしい、あいまいな六面体があらわれる。
2024年7月4日木曜日
拾い読み日記 304
先週、カルダーの展示を見に、Mと麻布台ヒルズというところにいってきた。ふたりでさんざん迷って、閉まる30分前に到着して、展示をみた。静かで、やや暗めのギャラリーだった。 木の匂いがした。どことなくマンションのモデルルームみたいだった。
ゆかいな色と形のモビールを見上げていると、あかるい光と風のなかにモビールを持っていきたい気持ちになったけれど、そう思うだけで、すこし、あかるい光と風のなかに、招かれている、ともいえる。
カルダーの絵は、どこか、ミロに近いようだな、と思ったせいだろうか。見終えてから、展示のことを話題にするとき、カルダーのことをミロといってしまう。ミロの展示、よかったね。ミロじゃないよ。カルダーだよ。7回くらいまちがえたらしい。そうとう、疲れているのかもしれない。脳が。
カルダー展でみた映像。少年がモビールを見上げる目が、きらきらしていて、とても素敵だった。
柴崎友香『あらゆることは今起こる』を読むと、思い当たることがたくさんあった。パニックになりやすい(でもまわりからはそう見られない)とか、眠りすぎるとか、たくさんの人と会った翌日は頭の中でずうっと話をされているみたいでぐったりする、とか。すべて脳の性質によるのだ、と思うと、多少、気がらくになる。
2024年6月28日金曜日
2024年5月22日水曜日
拾い読み日記 303
「ひかりに出あう」という詩を見つける。
くるしみもだえて
おまえを のがれる
おお ひかりよ。が その
おなじみちで また おまえに出あう。
司祭であり修道士であるダヴィデ・マリア・トゥロルドの詩篇を、須賀敦子が訳して、『どんぐりのたわごと』に載せたもの。『須賀敦子全集』第7巻(河出文庫)から。
「ひかり」に目がとまったのは、このところ、なんども、宇多田ヒカルの「光(Re-Recording)」を、聞いていたせいかもしれない。
20年ほど前の、最初のバージョンにくらべて、あきらかに高音がくるしそうだが、コーラスがうつくしいので、たびたび聞いている。おわりのあたりの、「君という光が私を見つける」と歌う、高い声のうしろに聞こえる低い声が、ふたつの声の重なりが、ほんとうにすきだ。
君という光、というのは、なにだろう? 愛するひと? 愛するもの? 信じるもの? 信じられるもの? ときどき、宇多田ヒカルの歌う「君」を、神や、神のような超越的な存在に、置きかえて聞くことがある。
2024年5月19日日曜日
拾い読み日記 302
こうして紙の上に書いてあるのをみると、この歌は、あまりいい歌のようには見えません。けれども、とてもお天気のいい日の午前十一時三十分ごろ、うす茶色のうぶ毛からもれて出たときには、じぶんがこれまでうたった歌のうちでも、上等(じょうとう)の歌の一つだと、プーには思えたのです。そこで、プーは、ずっとこの歌をうたいつづけてゆきました。(A.A.ミルン『プー横丁にたった家』石井桃子訳、岩波書店)
ずうっとパソコンの前にいて、画面を凝視して、マウスをカチカチやって、作業を続けていると、あたまが混乱して、何がよかったのか、何がしたかったのか、わからなくなる。デザインの話。手からもれて出たものなら、そこにもどれるのかもしれないけれど。
そういうときは、とりあえず、横になって、目を閉じてみる。そのうち、眠っている。目ざめてみると、あたまのなかは、落ちついている。
朝、コーヒーをのんでいたら、中学校のプールから、大きな声援が聞こえてきた。今日は、水泳の大会らしい。とてもやかましい。声が反響して、風呂場で子どもがさわいでいるみたいだ。まだこちらは、起きたばっかりなのに。「青春だね」「ざっくりだね」。
昨日、ふびんな犬を見かけた。あの犬のために、何ができるか、といえば、何も、できないのだが、それでも、何か、と心のなかで、たちあがろうとするものがある。
2024年5月3日金曜日
拾い読み日記 301
昼間、近くの屋内プールからにぎやかな声が聞こえてきた。屋外プールのほうは水が抜かれ、清掃が始まっている。
突然咳き込むことがあるので、まだ出かけられない。日当たりのよいベランダで、ふだんならビールをのむところだが、喉の痛みのせいでまったくのみたくならない。ビールのかわりに、バナナをたべた。日にあたり、風にふかれて木々の緑をみながらゆっくりと一本のバナナをたべる。ただそれだけで、じゅうぶん、開放的な気分になれる。さらにいえば、素直にもなれる気がする。ぺろんと皮をむかれたバナナは、なんだか剽軽なかたちをしている。
ひどい咳でくるしんだ5年前の日記が残っていて、それを読むと、耳鼻科にいったあとも眠れないほどの咳が続いたようで、とてもつらそうだった。それに比べると、今回の咳は、眠れないほどではない。おそらく、脳内の咳中枢に働きかける薬と、気管支を広げるための貼る薬が効いているのだと思う。あの耳鼻科にいってよかった。
5年前の夏の一週間の日記は、ギヨーム・ブラック『七月の物語』で始まっていた。その翌々日、ポール・オースターを読んでいた。
もう死にたいとも思わなかった。と同時に、生きているのが嬉しいわけでもなかったが、少なくとも生きていることを憤ったりはしなかった。自分が生きていること、その事実の執拗さに、少しずつ魅惑されるようになってきていた。あたかも自分が自分の死を生き延びたような、死後の生を生きているような、そんな感じがした。(ポール・オースター『ガラスの街』柴田元幸訳、新潮文庫)
大学生のときにオースターを読んで惹かれ、ペーパーバックのThe New York Trilogyを荻窪駅前の古本屋で見つけて買った。あれがはじめて買った洋書ではなかったか。どのくらい読んだのか、ほとんどおぼえていないけれど。
黒っぽい本だった。ポール・オースターには黒が似合う。空虚の黒。謎の黒。
このところいちばん手にしているのは、数年前に駒場の古本屋で買った『空腹の技法』で、そこで論じられている人たちの本は、オースターを読まなくなってから、本棚に集まってきたものだ。カフカ、ベケット、ジョルジュ・ペレック、パウル・ツェラン、エドモン・ジャベス、アンドレ・デュブーシェ……。20代のころは、オースターが詩を書いていたことも、翻訳をしていたことも、知らなかった。
自分が生きて、生き延びて、本を読んでいること。その事実の執拗さ。
2024年5月2日木曜日
拾い読み日記 300
ひさしぶりに風邪で寝込んだ。
喉と鼻の症状がひどく、昨日、ネットで調べた耳鼻科にいってみた。台湾出身の、推定70代の医師で、診察室には物がたくさんあり、見まわすと、くたびれ気味のぬいぐるみや謎の絵にまじって、むきだしのアコースティックギターがあった。診察に疲れたら、弾くのだろうか。症状を話すと、鼻と喉の奥を調べられ、つぎは何をされるのか、と思う間もなく、左右の鼻の穴に綿棒をぐいっと突っ込まれて、ひっ、と声が出そうになった。そのあと、先生は、中世のヨーロッパが不衛生だった話や、遣唐使の話をしていたが、どういう文脈だったかはすっかり忘れた。だいじょうぶかな、とは思ったものの、処方された咳止めや鼻炎の薬はまずまず効いているようで、意欲も戻り、今日からどうにか、起きあがって活動できるようになった。
寝ながら、iPhoneで竹田ダニエルのウェブ連載「やさしい生活革命」を読んだ。資本主義的「ご自愛」への抵抗。自分にとって、そのようなセルフケア的たのしみは、気まぐれな読書、昼寝、散歩、卓球だろうか。ほかにもふやしたいし、何より、気まぐれな制作もしたいと思うのだが、今は、仕事と卓球で、わりといそがしい。
寝込んでいるときに読める本は少ない。読みやすい、一気に読める物語や小説がいい。ふだんほとんど読まないから、家の本棚にはない。それで、耳鼻科の帰りに、駅前のちいさな本屋さんにいった。文庫の棚をうろうろして、角田光代『対岸の彼女』とカズオ・イシグロ『クララとお日さま』を見つけて買ってきた。
『対岸の彼女』を読み始めたら止まらなくて、寝床で一気に読んだ。
感想を書こうとしても、ちんぷな言葉しか浮かばない。読んだばかりの小説と、適切な距離を置くことは難しいことだと思う。彼女たちの物語のなかに迷い込んで、まだ、そこでいきているような感じがする。人との関わりのなかで、なやんだり、くやんだり、うれしくなったりして。
恋とか愛とか友情とか、そういう言葉におさまりきらない、人と人の、濃くなったり淡くなったりする関係にひかれる。
そういう意味では、鶴谷香央理『メタモルフォーゼの縁側』のふたりがすきで、ときどき最初から最後まで読み返す。「人って 思ってもみないふうになるものだからね」。75歳の市野井さんが、高校生のうららさんにいう言葉がすきだ。たしかに、「変身」は、予想できないものだし、いつのまにかなされるものなのだ。
卓球だって、こんなにやるようになるとは思わなかった。試合も、ひどく緊張するが、それがあるからまた出たいと思う。先月、卓球仲間のIさんとダブルスの試合に出て、負けに負けた。ふたりとも、本番にめっぽう弱いタイプだということがわかった。この人たちにはさすがに勝てるのではないか、と思った初心者のペアにも、フルセットで負けた。ここぞというときに力んでサーブミスをした。なさけなかった。
それでも、あの日、間近でみたIさんの、緊張した、いっしょうけんめいな顔がすてきで、かわいいというかなんというか、思い出すと、いとおしいような感じがする。本人にはいえないけれど。
まだ遠出はできないので、ベランダでぼんやり外の景色を眺めていたら、塵が飛んできた。白っぽい塵かと思ったものはたんぽぽの綿毛で、風に舞いあがって、どこかに向かうところだった。啓示、ではないけれど、綿毛みたいにいきるのも、いいよなあ、と思った。
2024年4月19日金曜日
拾い読み日記 299
桜の木の、天地について。
桜は地面に近いところから、花から葉にうつっていく。人が木を見あげて、すっかり葉に変わった、と思っても、空に近い部分には、まだ、花が咲いている。だから今朝も、2階のベランダに、花びらが風にのって、ながれてきた。
花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この てのひらにうけとろうとおもう
八木重吉の詩集を、ひさしぶりにひらいた。みじかい詩だから、あたまをよぎったときと、そんなに、変わらない。それでも、本を手にして、紙をめくり、詩をさがす。すこしのあいだ、文字をながめる。手のひらで、全身で、言葉をもっと、うけとることができればいい、と思う。
昨日の午後は気圧のせいかめまいがして、横になって瞑想しよう、と思い、目を閉じた。眠ろう、と思うのでなく、瞑想しよう、と思うほうが、すんなり眠れる。
うすももいろの花びらは、ひらひらひるがえったり、ちいさくかがやいたりして、空の青とあそんでいるようでもあった。
見ているうちに、くらい思いは消えていった。
2024年4月9日火曜日
拾い読み日記 298
もやもやとさわがしい気持ちをしずめる言葉を必要として、古本屋で買った、ペーパーバックのエミリ・ディキンスンの詩集を手に取り、開いた。
ある事情から、この詩集の前の持ち主を知っている。英文学者で、会ったことはないが、その人の本は、読んだことがある。うっすらと親しみを感じている。その人は、この詩集を、どんなふうに読んだのかわからない。だいぶ古びていて、何度もめくられたようだ、ということは、わかる。
「本の頁に/ほら おまへがのこした指紋がその言葉をきいてゐる」(立原道造「室内」より)
ページの上で、指と指が、眼差しと眼差しが、言葉と言葉が、交差する。一瞬、そのひとの気配を感じたとき、奇妙にしずかな気持ちになった。
2024年4月4日木曜日
拾い読み日記 297
毎日窓から眺めている欅の木が芽吹いて、冬の木から春の木に変わった。ほんの一日二日、気を抜いていたら、そうなっていた。枝だけの姿もきりりとしてすきだったが、今、枝は、うすいみどりの若い葉をまとって、やさしげに風にゆれている。
木の天辺に鳥が来て、とまった。「飼ふならば樹の頂の春の鳥」。隣にいる人が、とつぜんいうので、おどろいて顔を見上げた。『封緘』という句集にある、藤井あかりさんの俳句だった。しばらくして、鳥は、すーいすーいと泳ぐように飛んでいった。
タハール・ベン・ジェルーン『嘘つきジュネ』を読む。「白く光り輝いている、ジャン・ジュネの声」。読んでいるうちに、聞いたことのないジュネの声を、どこかで聞いたことがあるような気がしてくる。なつかしい、と思う。不思議なことだ。
「わたしがブラックパンサーとパレスチナ人から学んだのは、反乱の何たるかをもっとも理解させることができるのは詩的表現だということだ。その表現が曲解されてしまうこともあるだろうし、一種の美学として見られる可能性もある。注意が必要だ。簡単なことじゃない。
人種主義を、無益で邪悪な蛮行を理性によって告発することで、もし何かをなしうるのであれば、告発されているものはもうとっくに根こそぎ追い払われているはずだ。多くの人間がそうしたのに、それでもまだそれは残ったままじゃないか……」
この、ジュネの言葉をめぐって、思ったことをMと言い合って、何か、答えが見つかったわけではないが、いくつもの示唆をもらった。
しばらく前に、銀座の街頭で、ひとり黙ってメッセージを掲げて立つ女性を見かけた。その人は、にぎやかな夕暮れの街で、明らかに、浮いていた。
まるで一行の詩のように、孤独で、強い、そう思ったのはジュネの言葉を読んだからかもしれなくて、書きながら、この言葉のあやうさを感じる。
その存在、そのあり方が、強いということ。塞がる胸に入り込んで立つ「一行の詩」が、力を与えてくれている。
2024年4月1日月曜日
拾い読み日記 296
卓球が上手くなるには、ただやみくもに球を打ち返すだけではだめで、相手の動きを見て、来た球の回転や強さを見極める必要がある。ラケットをどう球に当てるか。角度とタイミング、スイングの速さと強さを、瞬時に判断して打ち返す。そうすべきなのだが、夢中になると、ほとんど何も考えられない。ただ、動くものに反応して身体が動く。犬や猫がボールを追いかけているのと、そう変わらない。つまり、卓球をしていると、あたまばかり使っている自分の動物性が、多少なりともめざめるようだ。勝つことや上手くなることよりも、その、めざめのほうが、自分にとっては大事だ。
無我夢中である、と同時に、飛んでくるボールによって思いもよらない動きをする(させられている)自分自身のことを、おもしろいとも思う。そして、夢中でありながらも、ボールを打つ直前には、一瞬の思考というものが、確かにある。それは、あたまではなく、身体で、手で、なされているはずだ。
ISIKAWA TAKUBOKU『ROMAZI NIKKI』を読んでいる。
読みにくい。しかし、おもしろい。ページに目を落とすと、目が、なじみのない文字列から、逃げたがっているのがわかる。それでも、息をつめてゆっくりと文字を追っていくと、やがて意味が、あらわれる。読むという行為における、あたらしい感覚を、あじわうことができる。書き手が感じていたであろう、書くという行為におけるあたらしさの感覚が、読むものに、ひそやかなかたちで、伝えられる。もし、遅さともどかしさをいとわなければ。
Yo wa Kodoku wo yorokobu Ningen da. Umarenagara ni site Kozin-syugi no Ningen da. Hito to tomo ni sugosita Zikan wa, iyasikumo, Tatakai de nai kagiri, Yo ni wa Kûkyo na Zikan no yô na Ki ga suru.
先日、語の用い方が曖昧かつ不正確で、文法的にもまちがいの多い、とてもわかりにくい文章を読んで、おどろきとともに、つよい危機感を感じた。今、読むことと書くことを、これまで以上に自分に課さなければ、と思った。
これまで、言語に対して、倫理的であることも論理的であることもできずに、ひたすら感覚的であったと思う。言葉と言葉にできないもののあいだで揺れていた。揺れていることそのものが、おもしろかった。これからも、そういう意味で、禁欲的には、たぶんなれない。
しかし、もっと、誠実であれたら、と思っている。今はまだ、どうしていけばいいのかよくわからないのだが、ただ、その誠実さは、誰にも理解されなくてもいいものだ、ということはわかる。
2024年3月20日水曜日
拾い読み日記 295
テニス部にいく夢をみた。テニスコートに立ってボールを待っているのだが、ラケットがない。しかたがないから、手で打ち返した。痛かったので続かなかった。もっとラケットを買い足すように、と進言して、テニス部を去った。険悪な空気がただよっていた。
言葉のよい道具になりたい、などと思うことは、不遜だったかもしれない。道具がそんな思いを抱いているなんて、使いづらいに決まっている。考え直すことにする。
どうも自分には、非人情なところがある。本に対しても、非人情な読み方をやめられない。
今日のつかのまの読書は、非人情つながりで、『草枕』。それから『小山さんノート』、『文芸研究』から「わが隣人パシェ」(千葉文夫)。
朝は快晴だったのに、みるみるうちに雲が広がり、今にも雨が降り出しそうだ。
2024年3月17日日曜日
拾い読み日記 294
書きたいと思っていたことも、画面に向かうと消えてしまった。
言葉を奪われ続けている。しかし、物と手の力によって、書くことはできないだろうか。そう考えて、ひとつのやり方を試してみる。続くかどうか、まだわからない。
風の強い日だった。
何冊かの本を手にした。
その中の一冊から。
「言葉は人間の道具ではない、むしろ人間が言葉の道具なのだ。個人——個体ではない——とは言語が自らを豊かにするために発明したひとつのからくりにすぎない。」(三浦雅士)
いま、言葉の、よい道具になるためにはどうすればいいか。言葉は何をもとめているのだろうか。「手あたりばったり」、試してみるほかない。
2024年3月1日金曜日
拾い読み日記 293
野球場に椋鳥がいた。とっとっとっとっと、歩く姿が愛らしい。近くで鳴かれるとうるさいし、柿の実にくらいついていた記憶もなまなましいので、あまりすきな鳥ではないけれど、こうして、誰もいない野球場で歩きまわっているのを見ると、遊びたいのに取りのこされた子どものようで、愁いがある。
疲れがたまっていたのか、帰ってきてコーヒーを淹れてのんだところで、力尽きた。かすかに、寒気も感じた。天気のせいでもあったかもしれない。小一時間眠って、目が覚めても、起きあがる気力がない。ふとんのなかで、スマホを見たり、音楽を聴いたりして過ごす。疲れているときに聞きたくなるのは、やわらかな声。しずかな声。天上から届いたような声。「クレヨン・エンジェルの歌はすこし調子がくるってる、でもそれは、けしてわたしのせいじゃない」。
いくつかの歌を耳に流し込み、それでもまだ起き上がれなくて、暗い部屋で途方にくれていたところ、ぽす、というちいさな音がして、何かと思えばふとんにぬいぐるみが落ちてきた音だった。こんなふうな起こされ方は、はじめてだ。ありがとう、といって寝床からようやく脱出できた。
沼田真佑『幻日/木山の話』を読み終えた。
回想であったり、妄想であったり、幻想であったり、そのつど、わきあがる想いに身をゆだね、言葉で書かれた、というよりは、言葉と書かれた、といったほうがいいかもしれない文章を辿ることは、つまずき、惑うことだった。まるで書くように読んでいた、と思う。
本を読むということは、奪われ続ける自分の時間とこころを、取り戻すような営みなのか、と思った。作業と作業のあいまに、本を開いて、読むこと、少しでいい、切れ切れでもいい、それができていれば、こころの底にある見えないうつわに水がそそがれ、満たされていくようなよろこびを、感じることができる。
(まだまだ)
もっと何か体験が、恥が、と、人生というものの、底知れぬ自由が恐ろしかった。ただ、こうは思うようになっていた。世の中に信用するに足るものが何もない以上、せめては自分が生きて、目の当たりにする現実を現実と信じ、これを書き残すことが、あるいは務めなのかもしれないと考えはじめていた。(「早春」)
本から顔をあげて、ときどき、木を見た。このところ、木を見て、木のかたちを確かめることで、何かを保っていた。この「木山」という男にも、そういう性質があるらしく、ときどきは、彼の目を借りて、見ているようでもあった。
2024年2月18日日曜日
本のZINE
BIBLIOPHILICのオンラインストアにて、本にまつわるZINEとして、『ある日』の取り扱いがはじまりました。山本アマネさんの本とならんで、うれしいです。写真もすてきに撮ってくださっていて。ありがとうございます。
それから先日、曲線(仙台の本屋さん)に『fumbling』と『ある日』を納品しましたので、こちらもよろしくお願いします。
このところは、仕事のかたわら卓球をしていて、卓球仲間も増えてきました。だんだん足が動くようになってきた、と思ったら、手首をすこし痛めてしまいました。身体をいたわりながら、続けたいです。
ヒロイヨミ社としても、いくつか進行中のものがありますので、かたちが見えてきたら、またお知らせします。
2024年1月24日水曜日
拾い読み日記 292
人見知りというのはいくら年をとってもなおらないもののようで、はじめて会う人だけでなく、ひさしぶりの人と会うときにも、どこか、居心地のわるさを感じることが多い。
このあいだも、ある催しに行って、知り合いの姿を何人も見かけたのだが、会が終わったあと、誰にも声をかけず帰ってしまった。その日聞いた、ある人の、話と声があんまりすばらしかったので、誰とも話したくなかったのかもしれない。誰かと話したら、すぐに忘れてしまう気がして。
先日、尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』を読み終えた。今年最初の読書。
ときどき本の厚みを確かめて、101年という時間の長さに、思いを馳せた。今の自分からすると、だいたい、半分くらいだ。
評伝を読んでいた20日間ほどのあいだ、くる日もくる日も、石井桃子さんがそばにいてくれるようで、心づよかった。
年をとることには、なにかしら不安がつきまとうものだが、記憶しておきたいことを、書き留めておく。73歳で自伝的長編小説『幻の朱い実』の執筆を志し、準備をして、79歳で書きはじめ、87歳のときに刊行されたこと。89歳のとき、ミルンの自伝を翻訳するために英語のレッスンを受け始め、91歳で取りかかり、96歳で刊行されたこと。(そのタイトルは、『ミルン自伝 今からでは遅すぎる』。)
「どうしたら平和のほうへ向かってゆけるだろう、と、人間がしているいのちがけの仕事が、「文化」なのだと思います」。これは、100歳になられた際のインタビューでの言葉。
おかしな話だが、わたしという未熟な子どもに、これからますます、さまざまな経験をさせたい、よい本を読んでほしいと、大人のわたしが思っている。支配しようとしてくるものにあらがって、自分のあたまと手で、ものごとに向き合える人間になってほしいと。
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