2023年7月23日日曜日

拾い読み日記 288

 
 ほとんどといってよいほどある本から別の本へとたえず飛び移っているのは、退屈せずに一気に読み通すことができないからだ。同様に、じつに頻繁にわたしが意見を変えるのは、ある見方にすぐ飽きてしまい、本能的に、そして退屈で死なないように、それとは正反対の見方を余儀なくされるか、——それとも、ただ単なる知的怠惰と考えが浅いせいであるか、そのどちらかだ。いずれにせよ、矛盾についての神秘的な考えはもうなくなってしまった……(『ミシェル・レリス日記  1  1922−1944』)

 退屈で死なないように、本から本へ飛び移り、家から家へ飛び移る。転居にともなう作業はキライだが、転居そのものは、すきだ。
 パートナーとは、人生における気分転換の重要性についての思いは一致しているが、さすがにお金が貯まらないので、今度住むところは、できれば長く住みたいね、と話し合っている。だが、どうなるだろう。

 3分もいたら熱中症になりそうな屋根裏部屋から、少しずつ在庫を降ろし、梱包する。どうにか、この世から去る日までには、在庫がなくなっているといいよなあ、と思う。いや、そんなことは考えなくてもよくて、最後までつくりたいものをつくっていればいい、とも思う。

2023年7月19日水曜日

水中書店




水中書店のあたらしいショップカードをつくりました。
リソグラフ印刷で、水の色と若葉の色をかさねてみました。
店頭で手にとっていただけたら、うれしいです。

2023年7月16日日曜日

拾い読み日記 287


 転居にともなう雑務に心身ともにつかれ、このところ、横たわってぐだぐだしている時間が多かったが、ようやく、気力が回復したみたいだ。

 武田花写真集『猫・陽のあたる場所』を開いて眺める。猫たちは、撮られることをまったく意に介していなくて、どうでもいい、という顔をしている。その顔を、たまらなくすきだと思う。かわいい、という言葉は似合わない、クールな猫たち。撮るものと撮られるもののあいだの距離が、ここちよい。

 刊行が1987年で、あとがきに、「ここに写っている風景は、今はほとんどありません」とあるので、おそらく、40年以上前の猫と風景を、見ていることになる。1990年に上京した自分が目にしたはずもない風景なのに、せつないくらい、なつかしいと感じる。今はもういない猫。消えてしまった風景。なくなったものは、とりかえしがつかない。それでも、こうやって、なつかしみつづけることはできる。

 ページに目を落としていて、ひらめきのように、あるかんがえがうかんだ。それは、自分の心をしばっているのは、自分なのではないか、ということで、それまで、しばられているとも感じていなかった気がするのに、奇妙なことだが、ともかく、そのしばりが、いままさに、ほどかれていくような解放感をあじわった。

 今度の引っ越しは、かぞえてみると、10回目になる。窓からの眺めと別れることだけが、すこしさみしい。バッサリ切られてから、夏草のような速さでのびつづける木。

 あたらしい生活、すなわち、あたらしい生が、はじまる。そんな気持ちでいる。