2022年8月26日金曜日

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2022年8月16日火曜日

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2022年8月10日水曜日

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2022年8月9日火曜日

拾い読み日記 280


 彼の歌声は、真夜中の電話みたいだ。とてもシャイな人が、小さな声で話しかけてくるような近さと、すぐに消えてしまいそうな不安定な魅力がある。細い線でのみ、彼と繋がっている。「わたしたち」の背後にひろがる闇が見える。彼がほんとうはどういう人間なのかは、どうでもいい。歌と声だけで十分だ。そのような声を持つ人は、ほかにいないから。  

 書く「私」は、生きている「私」の変身したものーーある種の文学的な目標と義務に対応して特殊化し、レベルアップしたもの。自分の本を作るというのは、些細な意味でしか、真実性がない。私の実感としては、そうした本は、私を媒介として、文学によって作られている。私はその(文学の)召使いにすぎない。(スーザン・ソンタグ「ひとりでいること」)  

 この一節を読んだときからずっと何かが引っかかっている。
 読者としてのわたしは、書く「あなた」に関心がある。書かれたもののなかに生きる「あなた」について、「あなた」が身を捧げた文学について、知りたいと思う。現実に生きている(生きていた)「あなた」が、どうでもいい、というわけではないのだが、強い関心を抱けない。そうした態度を、不遜だ、薄情だ、と咎める人もいるかもしれない。でも、「あなた」はきっと、そうは思わない。
 思い出したのは、作ったものと作った人間の印象の違いを指摘されたときの居心地の悪さ。わたしはわたしにふさわしいものをつくるべきなのか? わたしがつくったものにふさわしいわたしであるべきなのか? せっかく変身しようとしているのに。
 生きているほうの「わたし」は、できれば陰に隠れていたい。わたしがつくるものも、にぎやかなところより、しずかな空間を必要とする。

 新しいカメラで、こころみに、本を撮った。「文学によって作られている」ような本に対するとき、束の間ではないよろこびと、なぐさめが得られる。 




2022年8月7日日曜日

2022年8月6日土曜日

2022年8月5日金曜日

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2022年8月4日木曜日

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2022年8月3日水曜日

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