「ひかりに出あう」という詩を見つける。
くるしみもだえて
おまえを のがれる
おお ひかりよ。が その
おなじみちで また おまえに出あう。
司祭であり修道士であるダヴィデ・マリア・トゥロルドの詩篇を、須賀敦子が訳して、『どんぐりのたわごと』に載せたもの。『須賀敦子全集』第7巻(河出文庫)から。
「ひかり」に目がとまったのは、このところ、なんども、宇多田ヒカルの「光(Re-Recording)」を、聞いていたせいかもしれない。
20年ほど前の、最初のバージョンにくらべて、あきらかに高音がくるしそうだが、コーラスがうつくしいので、たびたび聞いている。おわりのあたりの、「君という光が私を見つける」と歌う、高い声のうしろに聞こえる低い声が、ふたつの声の重なりが、ほんとうにすきだ。
君という光、というのは、なにだろう? 愛するひと? 愛するもの? 信じるもの? 信じられるもの? ときどき、宇多田ヒカルの歌う「君」を、神や、神のような超越的な存在に、置きかえて聞くことがある。