2023年8月27日日曜日

拾い読み日記 290


  手術するかな、どうなるかな、とぼんやりかんがえながら、窓のむこうの、プールで遊ぶおとなやこどもを眺めていると、うらやましいようなまぶしいような気持ちになるが、しかし自分だって、昨日の夕方には、あそこで泳いでいた。

 4日前には、夫と泳ぎにいった。水泳部だった夫は、クロールでかろやかに泳ぐ。海水パンツがとても似合う。水泳帽を取ると、長い、ぬれた前髪が顔にかかって、なんだかいい感じ。ふだんの5割増しでかっこいいよ、というと、あいまいな表情で、胴が長いから海パンが似合うんだ、という。たしかに、彼の胴は長い。目に見えているより、長い。毎朝、その背中に薬を塗っているから、よく知っている。

 手術するような病気も、全身麻酔もはじめてだから、不安のあまり、たくさん情報をあつめてしまって、つかれた。その手術は、医者がいうように、めずらしくない、むずかしくない手術のようだった。体験記もいろいろと読んだ。それでも、おそろしいものはおそろしい。おなかに穴を開けられるなんて。

 決して、医者を信用していないわけではない。担当医は、30代だろうか。声は大きいが、威圧感はない。重みもない。どちらかといえば、いいひとだと思う。あのひと、いいひとなんだけど、声が大きいのよね、とか、いわれそうなタイプ。手術するかどうか、迷っていたら、とりあえずは手術のためのくわしい検査を、という流れになる。

 ずっと読みすすめられなかった上田三四二『うつしみ』を手にした。病を得て、死を覚悟して、大きな手術を受け、その直後のくだりが、とくに心に残り、しかし理解できるような、できないような、つかみがたさがある。口からではなく、点滴によって潤されるからだについて、著者は、つぎのように書く。
 
(……)要するに私はこの直接的な補液の手段に——そのような手段によって養われながら身動きもならず横たわっている自分の身体に、生物というよりもむしろ物理的な自然を感じたのである。
 
 ひとりのからだとは、装置によって生かされる、ひとつの物であるということ。自分のからだをまるごと人にゆだねることができたら、そのことが、実感として、わかるのだろうか。そうしたらなにか、変わるだろうか。自分のからだを人にゆだねる、というのは、自分のからだからの解放であり、自分のこころからの解放でもあるのだろう。つかのまであったとしても、それは、こころにとらわれ、からだのうちに閉ざされたものにとっては、大きな体験である。恐れのなかに、すこしの好奇心がまじりはじめたのは、この本のおかげである。

 夫に、うまく泳ぐコツをいくつか聞いた。水を掻くときに、のばした手が曲がらないようにすること。進む方向に指をぴんとのばして泳ぐと、はやく進むそうだ。一本の棒きれになった気持ちで泳ぐといいよ、という。棒きれの気持ちで泳ぐことは、むずかしいが、おもしろくて、くたくたになるまで泳いでも飽きない。

2023年8月13日日曜日

拾い読み日記 289


 あたりまえのことだが、引っ越しをすると、さまざまなことが変わる。たべる場所、くつろぐ場所、ねむる場所。毎日見る景色、使う道具の位置、話す声の響きかた、流しの高さ、部屋の匂い、周囲の物音、風のながれ方、そのほか、気づいていないこと、気づいていても言葉にできないこと。たくさんの、いろいろなことが変化して、ようやくそれらに、身体が慣れてきた。
 まともに読んだり、書いたりすることもできなくなっていた。本棚に並べた本たちに、まったく心が動かなくて、手にとる気力もなくて、そうなってみると本という物は心を重くするばかりで、すべて売り払いたいような気持ちにもなった。

 しかし、戻ってきた。
今日は、なんとなく目にとまった、中島敦『南洋通信』(増補新版、中公文庫)を読んだ。暑さで頭が働かない、と書く中島敦だが、遠のいてしまった本の世界を、うとましく思うことはない。遠い南の地で、かつての書斎の風景を、いとおしそうに思い起こす。

 (……)アナトール・フランス全集(英語の)の朱色の背に、陽のあたっていたのなんかもなつかしいな。精神的にも、もうオレはアナトール・フランスからまるで遠く離れて了った。妙な人間になりはてたよ。釘本からも手紙が来て、何か、書くように言って来たが、こちらは書くどころの騒ぎじゃない、サイパンへ来て、多少涼しい風が吹くので、少し本でも読んでみたい気が起った位のところだ。原稿を書くなんて、何処か、よその世界の話のような気がする。そういう意味の返事を釘本に出してやったよ。それでもね、パラオにはないが、サイパンには、岩波文庫を(ほんの少しだけど)並べている店が一軒あるんだよ。それだけでも、いささか頼もしい気がしたよ。(1941年12月2日 中島たか宛書簡)

 書けないつらさと苦しみは、ほかの手紙にも書いてあって、それは読んでいて、胸が痛くなるほどの強さだった。