2024年12月23日月曜日

拾い読み日記 312

 
 また 川を見に
 行こう と考える
 いま それ以上の ことを
 考えることができない
 血のことを 考えるよりも
 川のことを考える
 ほうがよい
 日本には ついに
 思想らしい思想は 生れないのか、
 と悲しみながら
 風の日の しめ切った あつい
 電車に乗っている。
 きみは悲劇的な
 死者たちばかりを愛している。 

 飯島耕一「川と河」より

 どうしてこの詩のこの一節に惹かれたのかはわからないが、書きうつしておきたいと思った。声に出して読んでみた。一字空きと、改行のしかたが、今の気持ちに、合っていたのかもしれない。詩を読むことは、つかのま、ひとの呼吸で、いきることにひとしいと思う。

 突然、米津玄師のことが気になって、「さよーならまたいつか!」のMVをみた。これまでほとんど興味がなかったのに、何度かみているうちに、表情や声や仕草に、じぶんでも不思議なくらいひきつけられた。こんなに赤い上下が似合うひとが、ほかにいるだろうか?
 「100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!」。
 知らねえけれど、という言葉が、みょうに、いいのだった。解放感がある。

 一昨日から、ネットでニュースをみるのをやめた。Xをみるのもやめた。
 そのかわりに、新聞をとりはじめた。新聞が、朝と、午後に届くことの、ありがたさ。紙をめくって、読む。読み終えて、紙をたたむ。そのよさを、ずうっと忘れていた。