また 川を見に
行こう と考える
いま それ以上の ことを
考えることができない
血のことを 考えるよりも
川のことを考える
ほうがよい
日本には ついに
思想らしい思想は 生れないのか、
と悲しみながら
風の日の しめ切った あつい
電車に乗っている。
きみは悲劇的な
死者たちばかりを愛している。
飯島耕一「川と河」より
どうしてこの詩のこの一節に惹かれたのかはわからないが、書きうつしておきたいと思った。声に出して読んでみた。一字空きと、改行のしかたが、今の気持ちに、合っていたのかもしれない。詩を読むことは、つかのま、ひとの呼吸で、いきることにひとしいと思う。
突然、米津玄師のことが気になって、「さよーならまたいつか!」のMVをみた。これまでほとんど興味がなかったのに、何度かみているうちに、表情や声や仕草に、じぶんでも不思議なくらいひきつけられた。こんなに赤い上下が似合うひとが、ほかにいるだろうか?
「100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!」。
知らねえけれど、という言葉が、みょうに、いいのだった。解放感がある。
一昨日から、ネットでニュースをみるのをやめた。Xをみるのもやめた。
そのかわりに、新聞をとりはじめた。新聞が、朝と、午後に届くことの、ありがたさ。紙をめくって、読む。読み終えて、紙をたたむ。そのよさを、ずうっと忘れていた。