2024年4月4日木曜日

拾い読み日記 297


 毎日窓から眺めている欅の木が芽吹いて、冬の木から春の木に変わった。ほんの一日二日、気を抜いていたら、そうなっていた。枝だけの姿もきりりとしてすきだったが、今、枝は、うすいみどりの若い葉をまとって、やさしげに風にゆれている。
 木の天辺に鳥が来て、とまった。「飼ふならば樹の頂の春の鳥」。隣にいる人が、とつぜんいうので、おどろいて顔を見上げた。『封緘』という句集にある、藤井あかりさんの俳句だった。しばらくして、鳥は、すーいすーいと泳ぐように飛んでいった。

 タハール・ベン・ジェルーン『嘘つきジュネ』を読む。「白く光り輝いている、ジャン・ジュネの声」。読んでいるうちに、聞いたことのないジュネの声を、どこかで聞いたことがあるような気がしてくる。なつかしい、と思う。不思議なことだ。
 
「わたしがブラックパンサーとパレスチナ人から学んだのは、反乱の何たるかをもっとも理解させることができるのは詩的表現だということだ。その表現が曲解されてしまうこともあるだろうし、一種の美学として見られる可能性もある。注意が必要だ。簡単なことじゃない。
 人種主義を、無益で邪悪な蛮行を理性によって告発することで、もし何かをなしうるのであれば、告発されているものはもうとっくに根こそぎ追い払われているはずだ。多くの人間がそうしたのに、それでもまだそれは残ったままじゃないか……」

 この、ジュネの言葉をめぐって、思ったことをMと言い合って、何か、答えが見つかったわけではないが、いくつもの示唆をもらった。

 しばらく前に、銀座の街頭で、ひとり黙ってメッセージを掲げて立つ女性を見かけた。その人は、にぎやかな夕暮れの街で、明らかに、浮いていた。
 まるで一行の詩のように、孤独で、強い、そう思ったのはジュネの言葉を読んだからかもしれなくて、書きながら、この言葉のあやうさを感じる。
 その存在、そのあり方が、強いということ。塞がる胸に入り込んで立つ「一行の詩」が、力を与えてくれている。