2022年11月29日火曜日

拾い読み日記 283

 
 フリードリヒ・キットラー『書き取りシステム 1800・1900』を読んでいたら、気になる引用があった。リルケ『マルテの手記』の一節のようで、本棚にある岩波文庫版を取り出して、開いてみた。めんどうだけど、探してみるか、と目を落とすと、すぐに見つかった。というか、そこにあった。それで、朝からひとりでもりあがる。わたしの拾い読み力、すごくない? とじまんしてまわりたいが、こういうことは、ほかのひとにはあまりおもしろくないことなのだな、と、夫の反応をみて、わかった。
 こういう偶然は、何回経験しても、新鮮に、はっとする。うれしい。偶然は、神のやることだ、とノヴァーリスは書いている。偶然とは、無神論者に下される恩寵にひとしいものにちがいない。というのは、種村季弘の言葉。

 『マルテの手記』をうつしておこう。

 ここに夜ごとに祈った言葉を自分の手で書き写してある。僕はその言葉を書物のなかに見つけて、それを書き取ったのである。いつもそれを身近に感じ、自分の言葉のように自分の手で書いておくためであった。僕はその言葉をもう一度ここへ写そう。この机の前にひざまずいて書こう。読むだけよりも長くつづき、一語一語が永続し、消えるのに手間どるからである。
 
 読むことが祈りであるということ、そのことがうまくのみこめない。
 書いていないから、かもしれない。書くとはどういうことか、ますます、わからなくなっている。ただ入力している(させられている)だけの気がしている。だから、キットラーを読んでいるのだ。
 
 柿の葉がきれいな黄色になって、風に吹かれて散っていく。その様子を、窓を開けたり閉めたりして、飽きることなく眺めている。

2022年11月23日水曜日

拾い読み日記 282


 いたずら書きがすきで、昨日の朝も、猫の絵をそのへんの紙に描いていた。描くのはいつも顔ばかりだが、その日はふと、からだも描いてみようかなと思い、てきとうにペンを走らせていたら、それを見ていた夫が、本棚から『11ぴきのねことあほうどり』を取り出して、テーブルに置いた。見て描いたら? というので、見て描いてみる。あほうどりのたくさんいる島に着いた猫たちが、うれしそうに歩いている絵だ。みんな、いい顔をしている。とても愛らしい。 
 見て描いていると、いつものように、すらすら描けない。線がのびのびしない。ただ、てきとうに手をうごかしているのが、すきなのだ。どうでもいいが、描と猫は字が似ている。
 今朝は、猫でないものを描こうとして、アオさんという絵本の馬を描こうとしたが、ぜんぜん、だめだった。知っているものを描けるか、というと、まったくそうではないのだった。あたまと手は、それほどに遠い。

 描けるものをてきとうに描く手みたいに、気楽に、のんきに、本を読んでいる。読みたいときに、読みたいように、読んでいる。何が読みたいかは、本棚の前に立つまでは、わからない。なりゆきまかせ。いきあたりばったり。手がのびた本を、読んでいる。
 最近、あたらしい本ばかり読んでいたら、息ぐるしくなるな、と思った。読みたい本も、読まなければと思う本も、どんどん出てくるから、とてもおいつかない。伝えようとする力が強い、と感じる本が多くて、心は動くのだが、「今」に閉じ込められている気がしてしまって、すこし、くるしかった。

 ほんとうは、誰からも遠い場所で、本を読みたい。ひとりで本を読む。本を読むためにひとりになる。ひとりになるために本を読む。遠いもの、はるかなもの、あるのかないのかわからないもの。そうしたものの存在を感じられないと、ふじゆうな気持ちになる。

 あのころの孤独な魂は
 あんな陰気なみずうみを、
   楽園になしえたのでした。(『ポー詩集』より)

 雨の音と同じくらい音量をしぼったラジオから、むかしのアイドルの歌が流れていて、意外にそれが、わるくない。すきでもきらいでもない、かすかになつかしい、そんな音楽。うるさくなくて、ここちよい。雨の音が強くなれば、話し声も歌も、遠のいていく。

 


2022年11月11日金曜日

はるなつあきふゆ/ある日


 
 森雅代さんの作品展「はるなつあきふゆ」のDMをデザインしました。
 森さんとは、『冬の木』『雨の日』『窓の韻』をいっしょにつくってきまして、今回の展示でも、森さんの銅版画とヒロイヨミ社が刷った詩があわさった、ちいさな冊子がご覧になれます。ちいさい、というか、ミニマルな冊子です。ごらんいただけたら、うれしいです。11月27日から12月4日まで、つぎのカーブにて開催されます。

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 先日おしらせした新刊『ある日』2と3、以下のお店で取り扱ってもらっています。よろしくおねがいいたします。

〈宮城〉

〈東京〉
SUNNY BOY BOOKS
Title

〈埼玉〉

〈愛知〉

〈大阪〉

〈奈良〉

〈広島〉

〈山口〉

〈沖縄〉

  
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 最近は、日記がぜんぜん書けなくなってしまいましたが、元気にやっています。
 筋トレをはじめたり、組版の講座にいったり、ドラマ(サイレント)をみたり、あちこち出かけたりしています。本はあんまり、読めていません。一昨日は、旧知の編集者、竹中さんが企画された「アナキズムのひろば」にいってきました。高島鈴さんと成田圭祐さんの話、すごくよくて、そのあと、一緒にいったひととのみながら話してたらけっこうもりあがり、だいぶよっぱらってしまいました。

 また本が読めるようになったら、日記を書きたいと思います。

2022年11月1日火曜日

ある日




 先月、あたらしい本をつくりました。
 前につくった『ある日』のつづき、『ある日  2』と『ある日  3』です。
 この本は、みたもの、よんだことば、おもったことの記録です。過去に書いた日々の記録をランダムにあつめてきて、一年のながれにそってならべました。
 時系列ではないので、日記の本、というわけではなく、かといってフィクションでもなく……日付のある散文集、というのが、いちばん近いような感じがします。とはいえ、どういう本なのか、あいまいにしておきたい、というのが正直な気持ちです。というのは、自分でも、よくわからないからです。
 ぜんぶ読まなくてもいい本、どこから読んでもいい本を、つくりたいと思っていました。シンプルに、拾い読みのための小冊子として、すきなところだけ読んでもらえたら、と思います。
 まだ出荷中ですので、おちつきましたら、取扱店をおしらせします。

 ことしも東久留米市立図書館の開催する図書館フェスにて、「ひとハコ図書館」の館長になりました。「羽ばたくページの図書館」、おとずれていただけたらうれしいです。
 ほとんど本が読めなかった10月ですが、集中して本のことをかんがえているときは、実際に本にさわっているような、みたされる感覚があって、とてもおもしろかったです。