2022年1月30日日曜日

拾い読み日記 268


 書かないでいると、書けなくなる。どうやって、どうして、書いていたのか、よく、わからない。言葉が遠くにある感じ。話すときは、言葉を意識していない。書くときにはじめて、「言葉」が迫ってくる。そうしたら、言葉が、うまく、使えなくなる。使う、というようなものでなくなる。
 書けないときは読めないときで、このところ、まともに本が読めない。読めないときは、やみくもに、目についた本を開くことになる。ジャック・デリダ『盲者の記憶』は、夫の本棚から。ディドロの手紙が引用されていて、奇妙に惹かれ、そこばかり読んだ。

 (……)闇のなかで書くのはこれが初めてです。この状況は私に、とても優しい想いをいくつも吹きこんでくれるはずです。それなのに、私が感じるのはたった一つ、この闇から出られないという想いです。あなたの姿をひとときでも見たい、その気持ちが私を闇に引き留めます。そして私は話し続けます、書いているものが文字の形をなしているかどうかもわからずに。何もないところにはどこにでも、あなたを愛していると読んでください。

 何もわからなくても、書いたり、作ったりを、続けてみようと思う。いつか、何か、今はわからないことが、わかるかもしれないから。

 今朝、二度寝の前の妄想のなかで、本のページの白い部分が布みたいにおおきくひろがり、やわらかく波うちながら降りてきて、自分をすっぽりとつつんでくれた。


2022年1月16日日曜日

拾い読み日記 267

 
 先月から通いはじめた整体の効果がではじめたようで、腰痛がなくなった。まだ、背中の張りを感じることはあるが、以前よりは、だいぶ、軽くなった。はじめてからだの凝りを感じたのは20歳のころだから、ずいぶん、不調とのつきあいは長い。50歳になろうとして、よくなる、なんてことがあるのだ。

 「名付けようのない踊り」を踊る人の声をラジオで聞いた。聞き始めたら、終わりまで聞きたいと思わせる、何かがあった。声の、深さ、だろうか。とても低いところで響いている。
 言葉が苦手だった、とその人は言った。読んだ本に何が書いてあったか、忘れても、たしかに自分の肉になった。そういう読書をしてきたと。本棚の写真を見た。書庫にただよう雰囲気は、その人の、顔に、からだに、よく似ている。
 
 部屋の本棚をみまわす。これらの本たちと、自分のからだは、どういう関係にあるのだろうか。

2022年1月7日金曜日

拾い読み日記 266


 何の疲れかわからない疲れを感じつつ、本棚の前に立って、目にとまったガートルード・スタインの本を取り出した。

 しゃりしゃりこおったくりーむ、こおるかのじょの湯気、こおるかのじょのしゃりしゃりこおったこおりの海のすばらしくて、ぬきんでていってしまった先立ってぬきんで送られた。(ガートルード・スタイン『地理と戯曲 抄』より)

 何もやる気がしない、と思っていたけれど、何か書く気になってこうして書いているのは、言葉が言葉を呼ぶからだろうか。言葉が言葉を呼ぶ。去年のおわりにみた『偶然と想像』の台詞で聞いた気がする。あの作家は、ある作家を思い出させた。べつに、ぜんぜん似てはいないのに。

 今朝、柿の木に鳩が来て、雪の上をしゃりしゃり音をたてて歩いていた。