2023年12月15日金曜日

しるすされない




作品集『しるすされない』
詩:小縞山いう 作品:鈴木いづみ
 dessinで開催中の展示「しるすされない」の本をデザインしました。
 3人で、写真を撮ったり、話し合ったり、紙を折るそばで印刷したりと、とてもたのしい時間を経て、出来上がった本です。本をいっしょにつくることは、たのしい、と、あらためて思いました。
 小縞山さんのあたらしい詩と、そこからつくられた鈴木さんの作品、ぜひ、展示会場で、見てほしいです。本はつくったけれど、どういうもの、とうまくいえません。言葉と物の、今までにない関係を、みたように思いました。すこしずつ、じぶんのからだに浸透させるように、よみたい本になりました。


 それから、ほかにもおしらせです。
 museum shop Tで開催中の展示「旅のたより」で販売している冊子『旅のはなし』に文章をよせました。
 「はじめての旅、ひとりの旅」というタイトルで、イギリスへの旅のことを書きました。
 展示にはまだうかがえてないのですが、冊子は届きまして、みなさんの作品や文章にふれて、どこか遠くへいきたくなりました。
 夏葉社の島田さんが、魚津での話を書かれていて、それもうれしいことでした。魚津には母の実家があるので、子どものころ、連れられて、ときどきあそびにいきました。いつかまた訪ねたい、なつかしいところです。
 museum shop Tには、ananas pressもヒロイヨミ社も、お世話になりました。お店としては、ひとくぎりとなる展示のようですが、お別れというわけではないのですよね。
 ですが、あらためて、ごあいさつを。どうもありがとうございました。『making』は、あの場所があって、出来た本です。
 
 
 先日、本屋B&Bに『窓の韻』と『fumbling』を納品しました。
 また、このあいだ、トークでお世話になりました本屋・生活綴方でも、ひきつづき、ヒロイヨミ社の本をお求めいただけますので、こちらもよろしくお願いします。

 
 Quantum Gallery & Studioでのananas press「エア メイル」展にお越しくださったみなさま、どうもありがとうございました。
 「エア メイル」というテーマは、これからもつづいていきそう、と思っていて、だから、おわったのに、おわっていないような、そんな気分でいます。あの白い空間に、じぶんのこころを置いてきて、今も、ふわふわ浮いているみたいです。



2023年12月1日金曜日

エア メイル

  


 ananas press「エア  メイル」展、開催中です。12月3日(日)まで、Quantum Gallery & Studio  にて。のこすところ、三日となりました。

 展示している本や作品は、どれもひらいたりめくったりできますので、ぜひ、手にとっておたのしみください。

 今回都筑さんがつくった「white envelope」(写真)は、Reikoさんが使った封筒の種類をしらべ、型をとって、そのかたちをうつしたものです。
 文字のない、何もはいっていない封筒は、かるいから、どこかへ飛んでゆきそうです。実際、ひらかれた封筒のかたちって、なんとなく、鳥みたいだな、と思います。

 あたらしく、『white on white』という、白い本をつくりました。
 白い紙を前にして、色のちがいや風合いのちがいをたしかめながら、さまざまなかたちをつくっていたあいだ、言葉を読むことも書くこともできなくて、ただ、ときどき、思いだしていた手紙の一節がありました。

 すぐに私に手紙を書いて下さい、長い長い手紙にして下さいね。手紙を書く時間がないのなら白紙を送って下さい、私たちは山と川によって引きさかれているけれど、あなたがなおも私のことを思っていると知らせて下さるために。(『エミリ・ディキンスンの手紙』山川瑞明・武田雅子編訳、弓書房)

   Do write me soon, and let it be a long, long letter ; and when you can't get time to write, send a paper, so as to let me know you think of me still, though we are separated by hill and stream. 

 あたまのなかがさわがしいとき、よく、白い紙のことや、白い本のことをかんがえていました。ぼんやりとした、あいまいで、あやふやな白いイメージ。その白さは、光のような、空気のようなものにも、似ているようでした。
 ゆっくりと、めくってみていただけたら、さいわいです。




2023年11月7日火曜日

エア メイル




ananas press「エア   メイル」

2023年11月23日(木・祝)—12月3日(日)
11:00—19:00 11月27日(月)休み

Quantum Gallery & Studio(東急東横線都立大学駅)にて 

1928年生まれのある女性から、その母親への、10年間にわたるエアメールをおさめた『Letters from Reiko 1975−1984』をはじめ、手紙にまつわる作品を展示します。

 +  +  +  +  +

 長いあいだ手紙のことを考えてきた気がしますが、何かわかったのかといえば、何もわかっていないようです。
 でも、たしかなのは、その手紙の束の写真を見たとき、本にしよう、といったこと。本をつくりたい、と思ったこと。

 今日も、本を、ひらいてとじて、きれぎれの読書しかできない自分には、なにか、手がかりとなるような言葉を、本のなかに探すことしかできません。

 「言葉は、私信といえども、一個人だけに宛てられたものにとどまり得ない。」(豊崎光一『文手箱』)

 東京で、「エア   メイル」のための白い空間を、ようやく見つけることができました。
 この場所で、ある家族の「物語」とananas pressの本にふれていただけたら、とてもうれしく思います。


(photo : Tetsuya Yuasa)

2023年10月24日火曜日

2023年10月23日月曜日

2023/10/22



2023年10月22日日曜日

Black cat day dream



flyer design

2023年10月9日月曜日

わたしの本を自らの手でつくる




 11月2日(木)、本屋・生活綴方で、真名井大介さん、山本浩貴さんと「わたしの本を自らの手でつくる」というテーマで話をします。

 ヒロイヨミ社として本を作ることについて、作った本のことについて、あれこれ、話せたらと思います。きっとうまくは話せませんが、思っていることが、すこしでも伝われば、いいです。
 おふたかたのお話をうかがのも、とてもたのしみです。詳細は、こちらをごらんください。
 
 洋書まつりのポスターとチラシ、できました。どこかで見つけてください。
 洋書まつりのたのしさをあらわしたくて、ドイツの木の玩具でひとしきりあそんで、くみあわせて、絵にしました。「本はとにかく六面体だ」(恩地孝四郎) 
 今年のまつりは10月20日(金)、21日(土)です。東京古書会館地下ホールにて。ぜひ。

 ばたばたと過ごしている10月ですが、仕事のあとの卓球(ときどき水泳、もしくは筋トレ)がたのしいです。からだを動かすことを、長いあいだ、忘れていたのだなあ……と思いました。

 ではまた。「エア メイル」展のことも、近々おしらせしたいです。

2023年9月20日水曜日

エア メイル

 


 まだすこし先ですが、11月23日(いいふみの日)から12月3日まで、都立大のギャラリーQuantum Gallery & Studioで、ananas pressの「エア  メイル」展を開催します。
 「エア  メイル」展は、2017年に香港ブックアートフェスティバルに参加する際につくった『Letters from Reiko  19751984』を、日本の人にもぜひ見てもらいたい、と思って、名古屋のコロンブックスで開催したのがはじまりです。
 たしか、香港の宿で、日本でも展示したいねえ、どこで展示するのがいいかなあ、と相方のaとだらだら話し合っていて、そうだ、コロンブックス! と思い立ち、湯浅さんに持ちかけて、展示させていただいたのでした。そのあと、コロンでの展示を見てくださったCaloの石川さんからのお声がけで、大阪でも開催しました。東京でも見てもらえたら、と思いながら、なかなかいい場所が思いつかず、5年も経ってしまいました。
 くわしいことは、追って、お知らせしたいと思います。

 つづけて、お知らせです。
 詩人の真名井大介さんからお誘いをいただき、11月2日に、本屋・生活綴方で、「わたしの本を自らの手でつくる」というテーマで、真名井さん、いぬのせなか座の山本浩貴さんといっしょに話をします。
 話、できるんでしょうか。わかりませんが、こちらも、くわしいことは、追って……。

 洋書まつり、今年は10月20日〜21日に開催されます。今年も、ポスターとチラシをデザインしまして、来週には刷り上がってくる予定です。ヒロイヨミ社の、今の、本への想いが、あらわれているような気がします。なんとなく、ですが。


追伸 卓球(ふたたび)はじめました

2023年9月1日金曜日

拾い読み日記 291

 
 おととい泳ぎにいって、今日もまた泳ぎにいった。今日は、筋トレにいくつもりだったのに。
 20年近く泳がないでいたのに、なぜこんなに頻繁に泳いでいるのかといえば、窓からプールが見える、たぶん、ただそれだけの理由で。こんな単純さで、すべてのことは進んでいく。進んでいくとよい。

 プールから、ときどき、窓を見た。もうひとりの自分が、こちらを眺めている。涼しい部屋で、お茶をのみながら。水のなかにいるたのしさも、水底の光も、泳いだあとの気だるさも知らずに。手で、足で、ひっしに水をかけば、ことばがなくなる。あたまが空になる。その、たとえようもない、自由な気分も知らずに。

 Think of the longest trip home.
 Should we have stayed at home and thought of here?
 Where should we be today?

 長い家路を考えてごらん。それとも ずっと
 家に居て ここを想った方がよかったかしら?
 今日 私たちは どこにいよう?

 エリザベス・ビショップの「旅の問い」(小口未散訳)。午前中、どうしてだろうか、旅先にいるような心のはずみを感じて、読んだ詩。

 水からあがって着替えているとき、ちいさな男の子の声を聞いた。「顔つけると、たのしいんだね」。そうだよ、と若い母親がこたえる。はじめて水に顔をつけることができた子どもに、またひとつできることがふえたね、という。

 その子どもの声が、しばらく胸のなかで響いていた。それは、この夏に聞いた、もっともうつくしい声ではなかったろうか。

 夕方のプールに風が吹いて、からだが冷えた。夏が終わるんだなあ、と思った。

2023年8月27日日曜日

拾い読み日記 290


  手術するかな、どうなるかな、とぼんやりかんがえながら、窓のむこうの、プールで遊ぶおとなやこどもを眺めていると、うらやましいようなまぶしいような気持ちになるが、しかし自分だって、昨日の夕方には、あそこで泳いでいた。

 4日前には、夫と泳ぎにいった。水泳部だった夫は、クロールでかろやかに泳ぐ。海水パンツがとても似合う。水泳帽を取ると、長い、ぬれた前髪が顔にかかって、なんだかいい感じ。ふだんの5割増しでかっこいいよ、というと、あいまいな表情で、胴が長いから海パンが似合うんだ、という。たしかに、彼の胴は長い。目に見えているより、長い。毎朝、その背中に薬を塗っているから、よく知っている。

 手術するような病気も、全身麻酔もはじめてだから、不安のあまり、たくさん情報をあつめてしまって、つかれた。その手術は、医者がいうように、めずらしくない、むずかしくない手術のようだった。体験記もいろいろと読んだ。それでも、おそろしいものはおそろしい。おなかに穴を開けられるなんて。

 決して、医者を信用していないわけではない。担当医は、30代だろうか。声は大きいが、威圧感はない。重みもない。どちらかといえば、いいひとだと思う。あのひと、いいひとなんだけど、声が大きいのよね、とか、いわれそうなタイプ。手術するかどうか、迷っていたら、とりあえずは手術のためのくわしい検査を、という流れになる。

 ずっと読みすすめられなかった上田三四二『うつしみ』を手にした。病を得て、死を覚悟して、大きな手術を受け、その直後のくだりが、とくに心に残り、しかし理解できるような、できないような、つかみがたさがある。口からではなく、点滴によって潤されるからだについて、著者は、つぎのように書く。
 
(……)要するに私はこの直接的な補液の手段に——そのような手段によって養われながら身動きもならず横たわっている自分の身体に、生物というよりもむしろ物理的な自然を感じたのである。
 
 ひとりのからだとは、装置によって生かされる、ひとつの物であるということ。自分のからだをまるごと人にゆだねることができたら、そのことが、実感として、わかるのだろうか。そうしたらなにか、変わるだろうか。自分のからだを人にゆだねる、というのは、自分のからだからの解放であり、自分のこころからの解放でもあるのだろう。つかのまであったとしても、それは、こころにとらわれ、からだのうちに閉ざされたものにとっては、大きな体験である。恐れのなかに、すこしの好奇心がまじりはじめたのは、この本のおかげである。

 夫に、うまく泳ぐコツをいくつか聞いた。水を掻くときに、のばした手が曲がらないようにすること。進む方向に指をぴんとのばして泳ぐと、はやく進むそうだ。一本の棒きれになった気持ちで泳ぐといいよ、という。棒きれの気持ちで泳ぐことは、むずかしいが、おもしろくて、くたくたになるまで泳いでも飽きない。

2023年8月13日日曜日

拾い読み日記 289


 あたりまえのことだが、引っ越しをすると、さまざまなことが変わる。たべる場所、くつろぐ場所、ねむる場所。毎日見る景色、使う道具の位置、話す声の響きかた、流しの高さ、部屋の匂い、周囲の物音、風のながれ方、そのほか、気づいていないこと、気づいていても言葉にできないこと。たくさんの、いろいろなことが変化して、ようやくそれらに、身体が慣れてきた。
 まともに読んだり、書いたりすることもできなくなっていた。本棚に並べた本たちに、まったく心が動かなくて、手にとる気力もなくて、そうなってみると本という物は心を重くするばかりで、すべて売り払いたいような気持ちにもなった。

 しかし、戻ってきた。
今日は、なんとなく目にとまった、中島敦『南洋通信』(増補新版、中公文庫)を読んだ。暑さで頭が働かない、と書く中島敦だが、遠のいてしまった本の世界を、うとましく思うことはない。遠い南の地で、かつての書斎の風景を、いとおしそうに思い起こす。

 (……)アナトール・フランス全集(英語の)の朱色の背に、陽のあたっていたのなんかもなつかしいな。精神的にも、もうオレはアナトール・フランスからまるで遠く離れて了った。妙な人間になりはてたよ。釘本からも手紙が来て、何か、書くように言って来たが、こちらは書くどころの騒ぎじゃない、サイパンへ来て、多少涼しい風が吹くので、少し本でも読んでみたい気が起った位のところだ。原稿を書くなんて、何処か、よその世界の話のような気がする。そういう意味の返事を釘本に出してやったよ。それでもね、パラオにはないが、サイパンには、岩波文庫を(ほんの少しだけど)並べている店が一軒あるんだよ。それだけでも、いささか頼もしい気がしたよ。(1941年12月2日 中島たか宛書簡)

 書けないつらさと苦しみは、ほかの手紙にも書いてあって、それは読んでいて、胸が痛くなるほどの強さだった。

2023年7月23日日曜日

拾い読み日記 288

 
 ほとんどといってよいほどある本から別の本へとたえず飛び移っているのは、退屈せずに一気に読み通すことができないからだ。同様に、じつに頻繁にわたしが意見を変えるのは、ある見方にすぐ飽きてしまい、本能的に、そして退屈で死なないように、それとは正反対の見方を余儀なくされるか、——それとも、ただ単なる知的怠惰と考えが浅いせいであるか、そのどちらかだ。いずれにせよ、矛盾についての神秘的な考えはもうなくなってしまった……(『ミシェル・レリス日記  1  1922−1944』)

 退屈で死なないように、本から本へ飛び移り、家から家へ飛び移る。転居にともなう作業はキライだが、転居そのものは、すきだ。
 パートナーとは、人生における気分転換の重要性についての思いは一致しているが、さすがにお金が貯まらないので、今度住むところは、できれば長く住みたいね、と話し合っている。だが、どうなるだろう。

 3分もいたら熱中症になりそうな屋根裏部屋から、少しずつ在庫を降ろし、梱包する。どうにか、この世から去る日までには、在庫がなくなっているといいよなあ、と思う。いや、そんなことは考えなくてもよくて、最後までつくりたいものをつくっていればいい、とも思う。

2023年7月19日水曜日

水中書店




水中書店のあたらしいショップカードをつくりました。
リソグラフ印刷で、水の色と若葉の色をかさねてみました。
店頭で手にとっていただけたら、うれしいです。

2023年7月16日日曜日

拾い読み日記 287


 転居にともなう雑務に心身ともにつかれ、このところ、横たわってぐだぐだしている時間が多かったが、ようやく、気力が回復したみたいだ。

 武田花写真集『猫・陽のあたる場所』を開いて眺める。猫たちは、撮られることをまったく意に介していなくて、どうでもいい、という顔をしている。その顔を、たまらなくすきだと思う。かわいい、という言葉は似合わない、クールな猫たち。撮るものと撮られるもののあいだの距離が、ここちよい。

 刊行が1987年で、あとがきに、「ここに写っている風景は、今はほとんどありません」とあるので、おそらく、40年以上前の猫と風景を、見ていることになる。1990年に上京した自分が目にしたはずもない風景なのに、せつないくらい、なつかしいと感じる。今はもういない猫。消えてしまった風景。なくなったものは、とりかえしがつかない。それでも、こうやって、なつかしみつづけることはできる。

 ページに目を落としていて、ひらめきのように、あるかんがえがうかんだ。それは、自分の心をしばっているのは、自分なのではないか、ということで、それまで、しばられているとも感じていなかった気がするのに、奇妙なことだが、ともかく、そのしばりが、いままさに、ほどかれていくような解放感をあじわった。

 今度の引っ越しは、かぞえてみると、10回目になる。窓からの眺めと別れることだけが、すこしさみしい。バッサリ切られてから、夏草のような速さでのびつづける木。

 あたらしい生活、すなわち、あたらしい生が、はじまる。そんな気持ちでいる。

2023年6月27日火曜日

fumbling ポップアップ  




 本と商い ある日、の喫茶コーナーで開催中の、 fumblingポップアップ、オンラインでも公開中です。
 ひとりですったもんだしてつくった本『fumbling』をはじめ、描いたり刷ったりしたものたちです。いずれも、かたち、色、ことばに、手でふれたい、あたらしいなにかを手でさぐりたい、という思いから、つくったものです。

 sunny cardは、さまざまな言語のsunnyの「絵はがき」です。しらない言語を思い、その音を口にのせてみるだけで、しばられているものから解放されるような感覚がありました。手がおもむくままに、線を描いたり色を塗ったりするときも、おなじように、ふっと自由な、幸福な気持ちがやってきました。

 poemoという、poemとまぎらわしい版画のシリーズは、身近なものを版材に用いて、これも手さぐりでつくったものです。製作中、どんなふうになるのかわからなくて、迷いながらすすむところは、本をつくるのと、似ているようでちがっていて、そこが、おもしろかったです。いま、試してみたいことをやってみて、そうしてできたものたち、という感じです。

 こうしてみると、「fumbling」は、つくることそのものが、テーマなのかもしれません。

 ある日、では、ヒロイヨミ社の本、たくさん扱ってもらっています。(『漂流箋』や『十一月』『本をひらくと』など、こちらに在庫がなくなったものもいくつかあります)

 ではでは、ひきつづき、どうぞよろしくお願いいたします。
むしあつい日がつづきますが、どうぞお元気でおすごしください。
 

2023年6月9日金曜日

ある日/読むひと


夜、友人と食事して、帰り道。いきつけの焼き鳥屋に夫がいるのが、窓から見えた。カウンターで、熱心に本を読んでいる。中に入って声をかけようか、と一瞬思ったけれど、やめておく。彼の貴重な読書の時間を、邪魔したくなかった。
ところが、家に着いたら、彼がいた。聞けば、見かけた直後に店を出たらしい。べつの道を通って、早歩きで帰ってきた。ふしぎでもなんでもないことなのに、狐につままれたみたいだった。
夜が明けても、彼のまぼろしを見たような、奇妙な感じは抜けない。ページを射貫くような、強くまっすぐな目で本を読んでいたひと。またどこかで彼を見かけたら、やはり声はかけずに、だまって通り過ぎるだろう。

2023年6月5日月曜日

ある日/放たれた本


井の頭線でランドセルの男の子が隣で本を読み始めて、それを見ていた晴れた午後。

「雨ふりの日は、田舎のおばあちゃんがしてたみたいに、窓をつたうしずくをじっと見てるんだって。」

それから彼はねてしまって、ページをおさえていた小さな手から放たれた本がはらはらひろがり、鳥のはばたきのような音をたてた。

2023年5月28日日曜日

ある日/迷う


立ち飲み屋で手から滑り落ちたiPhoneの画面が割れた。叩き割られたみたいな割れ方だった。8年使ったので、そろそろくたびれている感じもしていた。遅かったり、かたまったり、熱くなったり。自分の寿命を悟って、自ら壊れにいったのかもしれない。ありがとう、といって別れた。面倒くさくてずうっとのばしのばしにしていた機種変更が、ようやく出来た。あたらしい端末を持って、知らない町を歩く。もう、現在位置がわからなくなることもない。この先、道に迷うことはないのだろうか。それは、とても、貧しいことではないだろうか。
「自分がどこにいるのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、どうしたらよいのか。何もかもがよくわからず、わかりたいという積極的な意志も曖昧に稀薄化し、世界と自分が流動的に溶けあっている時空をただ熱病的に漂流していたいという欲望へと向けて軀をひらききり、迷子になった幼児の不安の甘美な倒錯性のなかで溺れてしまうこと。」(松浦寿輝『スローモーション』)
バス停で、所在なげにしている若い人がいて、バスは来ますか、とたずねると、まだ来ない、という。ちらと時刻表を見ると、最後のバスが来る時刻はとっくのとうに過ぎていた。あの人は、きっと、別の時間のなかにいて、何らかのゆがみによって、すれちがうことができたのかもしれない、と今になって思う。あの人の時間のなかに、まぎれこんでみたい。




2023年5月25日木曜日

ある日/離陸


機内で食べるチョコレートを買って店を出たら、同行者が青ざめて、もうフライトの時間だ、という。搭乗する場所は空港の「はなれ」だと知り、スーツケースを転がし、つまずき、息を切らして走りつづけて町はずれまで。それから飛行機は歩いている人をよけながら滑走路を走り、離陸した。見下ろす町に巨大な羽で出来た建物があった。からだが浮きあがる。飛んでいく。奇妙な都市からどこかへ。目がさめたとき、辿り着いた、という感覚があった。この場所に。この朝に。この「わたし」に。ごごごご、という離陸の音は、おそらく、隣に眠る者の鼾だった。

2023年5月24日水曜日

ある日/のびている木


冬にばっさり切られた柿の木からどんどん芽が出てみるみるうちにさみどりの葉でふさふさしてきた。冬のあいだは、まるで「切られた」という事実そのものを見ているようで、窓の外に目をむけるたびかすかに暗いきもちになったものだが、今は、「のびている」という状態を、毎日見ている。いや、「のびる」という動詞そのものを、見せられている気さえする。木の、第二の生がはじまったのだ。どこまでいくだろう。

2023年5月23日火曜日

fumbling(ポップアップ)

 
 sunny boy booksでのfumbling展にお越しくださったみなさま、どうもありがとうございました。期間中に新型コロナウイルスに感染してしまい、ほとんどねてすごしてましたが、すっかり回復しました。ほとんどの方とお会いできなかったのは残念ですが、うつさなくてよかったです。

 6月11日(日)から、沖縄の、本と商い ある日、の喫茶コーナーにて、「fumbling ポップアップ」、つまり、ちいさな巡回展がありますので、お近くの方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。
 
 また、6月6日(火)から、渋谷のウィリアムモリスで開催予定の「195人の作家から届いた、手がみ展」に参加します。これは、モリスの30周年の記念展で、これまで展示した作家たちから届いた手紙(はがき)を展示するというものです。(6月29日まで、日・月・17日休み)
 30年、お店を続けるということは、すごいことだなあ……と思います。身近なところでいうと、sunny boy booksがこの6月で10年、水中書店も来年の1月で10年だそうで、これも、素直に、すごいことだと思いますし、なんだか、時間の経つのが、やけにはやいなあ、と思いました。
 
 昨日、ブログ書いたから読んで読んで、といわれ、ほぼ3ヶ月ぶりに書かれたブログの日記を読んでいたら、触発されたというのか、じぶんも、また何か書き留めておきたいような気持ちになりました。まだわかりませんが、あせらずに、自分のペースで、やりたいことをやってみます。

 何はともあれ、お身体に気をつけてお過ごしください。

2023年5月8日月曜日

fumbling 開催中です




 SUNNY BOY BOOKSにて、「fumbling」展、開催中です。
 
 今回、手さぐりでいろいろとつくってみて、これまでにないおもしろさと手ごたえ(つかれ)を感じ、展示がはじまってから、その、つかれがどっと出てしまいまして、いまはちょっと休んでいます。逆に、それだけ身体をつかったのだなあ。つかえて、よかったなあ。と、前向きにかんがえられるくらいには、回復しています。
 かたちとことば、紙と印刷について、もっとあれこれ手さぐりしたい、ためしてみたい、というきもちが大きくなりました。
 
 fumble、すなわち、さがしまわる、くちごもる、うまくあつかえない、へまをやる、しくじる。なんてすてきなことばなのでしょう……じぶんの言動がすべてすくわれていくようです。『fumbling』の制作をめぐるfumblingな話は、長くなりそうなので、はぶきたいです。

 手さぐりつながり(というか、なんというか)で、ananas pressの『making』も、置いてます。こちらは5年前につくった本で、100部限定、残部僅少となっていますので、どうぞこの機会にごらんいただけたら。

 展示はのこり3日となりました。わたしはおりませんが、社長がいますので、どうぞよろしくおねがいします。

2023年4月23日日曜日

fumbling


 『fumbling』、制作中です。今回の本は、今まででいちばんページ数が多いので、といっても40ページほどなのですが、ヒロイヨミ社にとっては多くて、難儀しました。
 まだ自分が印刷する部分も残っていて、製本はしあさってから始めるので、無事に進んでいるとはいいがたいのですが、何とか、できそうです。
 本を読むことと読めないこと、書けないこと作りそこなうことままならないことをめぐって、やみくもに、言葉とかたちを手探りした本です。

 と、書いているそばから、うまくいえてない感じがして、消したくなります手にとって見ていただけたら、ありがたいです。

 早朝に目がさめたり、展示のおしらせ(DM)が突然送れなくなったり、本がまったく読めなかったり、ままならない日々が続いていますけれど、どんな本になるのかできてみないとわからなくて、できてからもわからないような気もして、それはとても、たのしみで、不安で、どきどきすることです。
 29日から、どうぞよろしくお願いします。

ヒロイヨミ社新作展「fumbling」

2023年4月29日(土)−5月11日(木)
※月・金休み  1219時(最終日18時まで)

目黒区鷹番2-14-15


追伸 今回はポスターも作りました







2023年4月16日日曜日

2023/4/16

2023年4月15日土曜日

2023/4/15


2023年3月30日木曜日

fumbling



 来月、SUNNY BOY BOOKSで開催予定の「fumbling」のDMが出来ました。
 一枚の紙を二つ折りにしただけのものですが、4ページの「本」のつもりです。一枚の紙は、ペラッとしたままだと立てませんが、二つ折りにすると、立つことができるのですね。だから何? と思われそうですが、いま写真を撮っていて、はじめて、そのことを知ったような気がしました。折っただけで、内側と外側ができるということ。(だから、何なのだろう……。)

 あたらしい冊子も、つまずきながら、制作しています。

 造本設計のプロセスからたどる小出版レーベルのブックデザインコレクション』(グラフィック社)という本で、狩野岳朗さんと作った『本をひらくと』を紹介していただきました。使った紙や制作のプロセスなど、いくつかのアンケートにお答えしましたので、興味のある方はご覧ください。
 
追伸 水中書店がブログをはじめました。ひと月に1回くらいは書きたいそうです

2023年3月21日火曜日

2023/3/21


2023年3月8日水曜日

2023/3/8


2023年3月5日日曜日

2020/3/4

 

2023年3月3日金曜日

2023/3/2


2023年2月26日日曜日

2023/2/26


2023年2月25日土曜日

2018/3/21


2023年2月23日木曜日

2023/2/23


2023年2月17日金曜日

2023/2/17


 

2023年2月15日水曜日

2023/2/15


 

2023年2月12日日曜日

fumbling



 
 4月に開催予定の展示のお知らせです。

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ヒロイヨミ社「fumbling」

2023年4月30日(土)—5月11日(木) ※月・金休み

目黒区鷹番2-14-15

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 fumblingは、不器用な、とか、手探りする、とかいう意味です。球技だと、ボールをとりそこなう、とった球をぽろっと落とす、という意味があるようです。野球でいったら、「お手玉」みたいな。
 この言葉を知ったとき、自分にぴったり!と思いました。
 器用そうと思われることが多いのですが、まったくそんなことはなくて、実際は、あまりの不器用さに驚かれることもよくあるし(aに)、自分でもどうかと思うくらい、めんどうくさがりです。

 それでも、手を動かすことがおもしろいので、あれこれ作っています。おもしろいというのか、不思議というのか。手のなかで、手によって、何かができてくる感じに、慣れません。

 そんなふうに、ぎこちない手つきで、ごそごそしながら、刷ったり描いたり綴じたり貼ったりしたものを、ふらっと見にきていただけたら。それで、なんとなしに、あかるい気持ちになってもらえたらいいなあ、と思います。

 作りたいものがいろいろあるので、また何かとここでお伝えしたいと思います。

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 それから、在庫についてお問い合わせいただくことがときどきあるので、ヒロイヨミ社の、今の在庫状況をお知らせします。
 
・『ある日』1〜3
・『水草』2022年春号(水中書店+ヒロイヨミ社)
・『詩のはがき 春』
・『ephemeral』
・『窓の韻』(森雅代さんとの本)
・『ほんほん蒸気』2〜5号(北と南とヒロイヨミ)
・『本をひらくと』(狩野岳朗さんとの本)

 『本をひらくと』は、のこりわずかとなっています。
 何かありましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。

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 活動をはじめたのが春だったので、春が近づくとそわそわして、なんとなく、何かつくりたくて、あたまのなかが思いつきで混沌として、くるしいような、たのしいような、そんなふうです。


追伸 景子さんの「OMAMORI」にパワーをもらいました ありがとう

2023年2月10日金曜日

2023/2/10


2023/2/10


2023年2月4日土曜日

2023/1/31


2023/1/30


2023年1月29日日曜日

2022/6/7

2023年1月28日土曜日

2023/1/28

2023年1月26日木曜日

拾い読み日記 286


 1月は、ピロリ菌感染判明からの新型コロナウィルス感染疑いからの発症で、ほとんど家にいた。症状は、微熱、喉の違和感、頭痛くらい。仕事をしたり本を読んだりTVerでドラマを見たりして過ごした。
 
 『ムーミン谷の仲間たち』を読んだ。こども向けの、文庫本より大きな活字の版で、読みやすかった。文庫の小さな文字では、あんなにゆったりした気持ちでは読めない。
 スナフキンに名前をつけてもらった生きものが、目をかがやかせて、これから自分のほんとうの生活がはじまる、というようなことをいうくだりがよかった。憧れのスナフキンのこともそっちのけではりきっていて、そのよろこびようから、これまで彼は脇役として、自分なんて……と思いながら、生きてきたんだなあ、と思った。

 思いが言葉にならなくて、ふらふら、ふわふわしていることが多くても、まったくかまわなくて、そういえば、スナフキンと大豆田とわ子が、同じようなことをいっていた。言葉が気持ちを上書きしてしまう(とわ子)。言葉にすると、言葉にした以外のことが思い出せなくなる(スナフキン)。うろおぼえだけれど。

 このところ、寒さがひときわ厳しくなったが、春が遠くない気がする。春隣という、立春の前の季語がすきだ。

 だれかどこかで何かさゝやけり春隣  万太郎

2023年1月22日日曜日

2023/1/22


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2023/1/19


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2023/1/18

 

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2023/1/10

 


2023年1月2日月曜日

2023/1/2