2024年5月2日木曜日

拾い読み日記 300


 ひさしぶりに風邪で寝込んだ。
 喉と鼻の症状がひどく、昨日、ネットで調べた耳鼻科にいってみた。台湾出身の、推定70代の医師で、診察室には物がたくさんあり、見まわすと、くたびれ気味のぬいぐるみや謎の絵にまじって、むきだしのアコースティックギターがあった。診察に疲れたら、弾くのだろうか。症状を話すと、鼻と喉の奥を調べられ、つぎは何をされるのか、と思う間もなく、左右の鼻の穴に綿棒をぐいっと突っ込まれて、ひっ、と声が出そうになった。そのあと、先生は、中世のヨーロッパが不衛生だった話や、遣唐使の話をしていたが、どういう文脈だったかはすっかり忘れた。だいじょうぶかな、とは思ったものの、処方された咳止めや鼻炎の薬はまずまず効いているようで、意欲も戻り、今日からどうにか、起きあがって活動できるようになった。

 寝ながら、iPhoneで竹田ダニエルのウェブ連載「やさしい生活革命」を読んだ。資本主義的「ご自愛」への抵抗。自分にとって、そのようなセルフケア的たのしみは、気まぐれな読書、昼寝、散歩、卓球だろうか。ほかにもふやしたいし、何より、気まぐれな制作もしたいと思うのだが、今は、仕事と卓球で、わりといそがしい。


 寝込んでいるときに読める本は少ない。読みやすい、一気に読める物語や小説がいい。ふだんほとんど読まないから、家の本棚にはない。それで、耳鼻科の帰りに、駅前のちいさな本屋さんにいった。文庫の棚をうろうろして、角田光代『対岸の彼女』とカズオ・イシグロ『クララとお日さま』を見つけて買ってきた。

 『対岸の彼女』を読み始めたら止まらなくて、寝床で一気に読んだ。
 感想を書こうとしても、ちんぷな言葉しか浮かばない。読んだばかりの小説と、適切な距離を置くことは難しいことだと思う。彼女たちの物語のなかに迷い込んで、まだ、そこでいきているような感じがする。人との関わりのなかで、なやんだり、くやんだり、うれしくなったりして。
 恋とか愛とか友情とか、そういう言葉におさまりきらない、人と人の、濃くなったり淡くなったりする関係にひかれる。

 そういう意味では、鶴谷香央理『メタモルフォーゼの縁側』のふたりがすきで、ときどき最初から最後まで読み返す。「人って 思ってもみないふうになるものだからね」。75歳の市野井さんが、高校生のうららさんにいう言葉がすきだ。たしかに、「変身」は、予想できないものだし、いつのまにかなされるものなのだ。

 卓球だって、こんなにやるようになるとは思わなかった。試合も、ひどく緊張するが、それがあるからまた出たいと思う。先月、卓球仲間のIさんとダブルスの試合に出て、負けに負けた。ふたりとも、本番にめっぽう弱いタイプだということがわかった。この人たちにはさすがに勝てるのではないか、と思った初心者のペアにも、フルセットで負けた。ここぞというときに力んでサーブミスをした。なさけなかった。
 それでも、あの日、間近でみたIさんの、緊張した、いっしょうけんめいな顔がすてきで、かわいいというかなんというか、思い出すと、いとおしいような感じがする。本人にはいえないけれど。


 まだ遠出はできないので、ベランダでぼんやり外の景色を眺めていたら、塵が飛んできた。白っぽい塵かと思ったものはたんぽぽの綿毛で、風に舞いあがって、どこかに向かうところだった。啓示、ではないけれど、綿毛みたいにいきるのも、いいよなあ、と思った。