2022年9月24日土曜日

洋書まつり


 10月に東京古書会館で開催される洋書まつりのポスターとフライヤーをデザインしました。
 
 アルファベットをモチーフとして、本のようなかたちをつくりました。文字から〈本〉ができないものかと、あれこれ試していて、たまたまできたかたちです。たまたま、ということに、いま、妙にひきつけられています。

 ことばがわからなくても、洋書に触れると、こころが弾みます。じぶんの場合は、ことばがよくわからないからよけいに、レイアウトや紙の風合いなど、デザインに目がいきます。

 20年ほど前はじめて海外に行ったとき、ロンドンの本屋さんでどぎまぎしながら本を買ったら、店員さんが、enjoy.といって、にこっと笑いながら本を手渡してくれました。本屋さんの名前も買った本のタイトルもすっかり忘れてしまったけれど、あの店員さんのことばとかろやかな雰囲気は、おぼえています。(びっくりしたから)

 読めても読めなくても、本をもっとたのしめたらいいなあ、と思います。
 洋書まつり、参加店など詳細はこちらに。
 水中書店もはりきっていますよ。

2022年9月17日土曜日

拾い読み日記 281

 
 ひさしぶりに椋鳥が来た。椋鳥が来ると、たべられる、と思ってしまう。秋が深まり、柿が色づくと毎日のようにやってきて、あきれるほどの貪欲さで実にくらいつく姿を、毎年みている。まだ実は青いのに、飛んで来るなんてめずらしいことだ。下見にやってきたのかな、と思って観察していたら、なにかついばんでいる様子がある。口元に、オレンジ色のひらりとしたものがみえた。どうやら、枝から落ちて赤くなった実をたべているようだった。なんて鳥だ……と思ってにらんでいたら、夫が、挑発にのらないで、と笑いながらいった。

 蟬もやってきた。ふらっと飛んできて、鳴かずにじいっとしている。みていても、いつまでも鳴かない。日に透けた羽がセピア色をしている。もう、飛ぶ力も鳴く力も、残っていないようにみえた。秋の蟬をみていたら、冬の蜂の句を思い出した。

 冬蜂の死にどころなく歩きけり  鬼城

 蟬は、いつのまにかいなくなっていた。羽の音もしなかった。しずかな蟬の行方を思って、しんとした気持ちになる。
 
 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』を読んでいる。年をとり、おとろえたり、あちこち悪くなったりして、でもそんななかでどのように自分のしごとをつづけていくか。ふたりの言葉に導きのようなものをもとめて読み始めた。読み始めてすぐ、そんな他人ごとみたいに読める本ではないな、とわかった。

 つねに不確定に時間が流れているなかで、誰かと出会ってしまうことの意味、そのおそろしさ、もちろん、そこから逃げることも出来る。なぜ、逃げないのか、そのなかで何を得てしまうのか、私と磯野さんは、折り合わされた細い糸をたぐるようにその出逢いの縁へゆっくりと(ときに急ぎ足で)降りながら考えました。(宮野真生子「はじめに」より)

 もしかしたら自分は、出会ってしまったものたちから逃げつづけてきたのではないか、という思いがよぎって、ひやっとして、すぐにその考えを打ち消した。
 

2022年9月14日水曜日

本とビールの旅

 
 飛行機にはできれば乗りたくない、とは思いながらも、飛行機に乗って、遠くの町に出かけてきました。たくさんの本屋さんを訪ねました。

 熊本では、汽水社、橙書店、長崎書店へ。
 福岡では、ブックスキューブリックと本のあるところajiroとナツメ書店へ。
 山口では、ロバの本屋へ。
 広島では、READAN DEATへ。

 どのお店もそれぞれにすばらしくて、居心地がよくて、本の居心地もよさそうで。本屋さんって、やっぱりすごくいいものだなあ、と思いました。本屋さんで本を買うことのよろこびを、たっぷり味わえました。
 そういえば、本屋じゃないけど、熊本のさかむらにも古本がありましたよ。ひさしぶりの坂村さん、やっぱりおもしろかったです。
 
 しかし、移動がはげしかった。3泊4日では、きびしい旅程でした。
 帰ってきて、ぐったりして、ひとつ仕事を終えて、今ようやく買ってきた本をぱらぱらめくる時間ができました。

 もうこんなハードな旅はできないかもしれない、と思っています。せっかくなので、zineかフリーペーパーか、つくりたい気がしているのですが、できるかどうかは、まだわかりません。こうしてブログに書いてしまったら、もういいか、と思ってしまいそうなので、くわしい話は、またいずれ。

 とりあえず、熊本に着いて最初にのんだビールの写真をあげておきます。