送られてきたメールを読んで、AIが書いたみたいだ、と思ってしまった。その人らしい「感じ」がなかった。とても、つかれているのだろうか。心配している。
しかし、気のせいかもしれない。このところ、すこし言葉に関して過敏になっているのか、見るだけは見ていたXに流れてきたある作家のらんぼうな言葉を読んで、もう無理だ、と思い、アカウントを削除した。そして、「タイムライン」から解放された。
あのような、無思慮かつ威圧的な人間の書いた本が広く読まれていることを、どう考えたらいいのか。くらい気持ちになった。このことは、現在の出版状況や政治状況とも、無縁ではないと思われる。アテンション・エコノミーという怪物がのさばっている。そこから、どう身を守るのか。
もう無理だ、と思ったのは、自分が、その人の、らんぼうであいまいな(匂わせ)言葉に、何が起きたのか、知りたい、といっしゅん思ってしまったからだった。こころと言葉の危機を感じた。
私は、自分はひとりぼっちでいるほうが、いい人間になれることを考えて、おかしくも思ったが、それは、うそいつわりのない事実であった。(石井桃子「ひとり旅」)
同時に、Instagramも、アカウントをなくして、もう見られなくした。ブログは、反応がないから、続けられる。SNS的には、隠居、みたいな。偏屈とか変人とかいわれてもいい、とMにいったら、彼は、だいじょうぶ、俺のほうが偏屈だから、といった。
