2026年2月15日日曜日

拾い読み日記 346


 散歩の帰り、鹿毛の馬を2頭見た。注意書きがあった。大きな音に馬が驚きます/ご注意ください。馬にふさわしいように、できるだけしいんとした自分になって、金網越しに凝視していると、馬はとても
凜々しくて、艶やかで、しずかで、あこがれのひとを盗みみている気がした。それほど、うつくしいのだった。遠いむかし、馬に恋してむすばれた娘の気持ちが、なんとなくわかる。もっと近づきたいけれど、こわい気もする。大きいからだに構えてしまいそうだし、一度ひかれるとのめりこみそうだし、そうしたらそのままどこかに連れ去られて、帰ってこられなくなるかもしれないし。

 昨年ばっさり枝下ろしされた梅の木に、白い花が咲いた。それで、マティスの日記を読み返す。
 
 ヴァンスに着いてどうして自分があんなにひとりぼっちの気持だったのか今朝それがわかりました。それはつまり——樹木がすべて枝おろしをやられていたのです。(『マティス 画家のノート』)

 これまでにしたしんだ木のことを思った。あるときは近所のスダジイに、あるときは隣家の泰山木に、またあるときは目の前の柿の木に、こころを寄せてきた。木をじいっと見ているときは、いつもひとりだったけれど、ひとりでなければ、ふかまらない関係があるのだろう。木はいつでも、しずかな力で、明るいほうへ、わたしをのばそうとした。

2026年2月13日金曜日

拾い読み日記 345

 
 二度、葉擦れの音に立ち止まった。二度目の木はたしかシラカシで、一度目の木より、やや低い音がした。同じ葉擦れの音といっても、葉の厚さや、大きさや、風の吹きかたによって、微妙に異なる。日陰で、すこし寒いと感じた。それでも、世界の秘密をささやいているようなその木を前にして、かつて、どこかで、このような音を聞いた気がして、立ち去りがたかった。

 帰ってきてから、宮沢賢治の詩集を手にして、その音に似たものを探したのだが、見つけることはできなかった。「わたくしは森やのはらのこひびと」。異界からの声だったかもしれない。異界とは、きっと、なつかしい場所なのだろう。

 50年以上前に刷られた文庫本は、表紙も天地も小口も茶色く焼けてしまって、詩が、木の肌でおおわれているように見える。

2026年2月10日火曜日

2月のおしらせ


  森雅代さんの版画展が渋谷のウィリアムモリス(カフェ/ギャラリー)で開催中です。DMをデザインしました。『窓の韻』や、詩と版画の小冊子もありますので、お近くにお越しの際は、ぜひいってみてください。今月28日までです。詳細は、森さんのInstagramをごらんください。

 翻訳家の川野太郎さんによる読書日誌「読んだり、読まなかったり」で『ある日 読書と断片』がとりあげられています。こんなふうに読んでもらえるとは、本にして、よかった! と思いました。

 佐々木活字店の塚田さんのインタビューが、雪朱里さんのnoteで読めます。ぜひ。
 2007年ごろに活版印刷機を買ってすぐ、佐々木活字店にいって、何から何まで教えていただきました。はじめてのとき、名刺の版を頼もうとしたら、(活字を)拾ってみる? と中に入れてくれたり、うまく刷れないときは相談にのってくれたりと、とても親切で、あたたかいかたでした。
 『春の詩集』、『雨の日』、『窓の韻』、『ほんほん蒸気』の表紙、そのほか、ヒロイヨミ社の本の活字は、ほとんど佐々木活字店で組んでもらったものです。お店にうかがって、塚田さんとちょっと話すのがたのしみでした。印刷や制作への(ときには生活への)そこはかとない不安も、塚田さんの笑顔と活字の重さで、だいじょうぶ、といわれたような気がして帰ってきたりして。ささえてもらっていました。
 もっと話を聞きたかった、と思っていたので、インタビューの公開、ありがたいです。
 今でも、榎町にいけば塚田さんに会える気がします。とてもさみしいです。

2026年2月9日月曜日

拾い読み日記 344

 
 今日も卓球はたのしくて、ころされる夢をみたことなんてすっかりわすれてしまった。それでも書き留めておきたいと思うのは、なぜだろう。打撃を受けて倒れ、うつ伏せで、ダイイング・メッセージを残そうとしたが、どう書いたらいいか迷っているうちに、とどめを刺されてしまった。お腹ににぶい痛みを感じ、やがて、ブラックアウト。はやく書けばよかった、と後悔しながら。なにものかに追われる夢やちいさないきものをしなせてしまう夢は、むかしからよくみていたが、ころされる夢ははじめてかもしれない。顔も声もない不気味なころし屋だった。

 ピン・ポン・ピン・ポン・ピン・ポン・ピン・ポン。その音は異様にさわやかで、僕らは異様に気持ちが軽くなった。汗が流れた。殴られた痛さなんかはもう、汗といっしょに流れ出ちゃったような感じで。(パク・ミンギュ『ピンポン』斎藤真理子訳、白水社)

 卓球場以外では会わない、年上のひとびと。ずいぶん年上でも、上手くても、えらそうな人なんていない。白い球を打ち合うだけで、異様にたのしい。ここでは大声を出したり、くやしがったり、ふだんより素直に感情をあらわすことができる。卓球場を出ても、そのたのしさやすがすがしさはつづいていて、もっと、何か、できそうだ、とわけもなく前向きな気分になれる。

2026年2月8日日曜日

拾い読み日記 343


 雪が降りしきるなか、投票所へ。思ったより寒くない、そのことを忘れていた。あしうらが雪を踏む、きしきし、という感触がなつかしかった。あしがよろこんでいた。白い空から白い雪が降る。見上げると、白い雪は薄いグレーだった。墨を一滴だけおとしたくらいの淡さ。空の一部がはがれて、欠片になっておちてくるようでもあった。欠片はつぎからつぎへと、天から地へはこばれていった。

 天地(あめつち)の息合ひて激し雪降らす  野沢節子
 
 鼻をぐずつかせながら投票して、立会人の机にボックスティッシュがあったので、一枚いただけますか、といったらその人はとてもおどろいたようだった。箱が開いてなかったから? いわなければよかった、と思ったが、戸惑いながらもその青年は、箱を開けて、2枚くれた。

 木に積もる雪を立ち止まって見つめた。あのとき、人も車もいなくて、とてもしずかで。ちり、とかすかな音がした。雪片が傘に触れる音。お酒を買って家に戻り、のみながら、本を読んだり窓の外を見たりして過ごす。雪からひろがるしんとした世界のなかで、息をふかく吸って、吐いて。

 白い紙に白い箔押しは、雪にのこされた足跡みたいだ、と思う。だから何度も触りたくなる。指が表紙のうえを、あきることなく歩きまわる。

2026年2月7日土曜日

拾い読み日記 342


 ある不安のせいで、図書館に火の手が迫る妄想がふくらんで、起きぬけに、渡辺一夫の、本を疎開させるエッセイを読んだ。本はまもられて、ここにきた。書棚の前にしゃがみこんで、べつの本を手にとる。

 彼らの存在はぼくにとって生きている強い何かだった。それは紙とか革とか金箔とか以上のものだった。ぼくは彼らの友情の暖かさを感じていたし、また彼らはぼくの仕事を見守ってくれていた。彼らはみな、その静かな調子によってわれわれの世界の持続を信じるようにぼくを勇気づけてくれる、ひとつの声をもっていた。(『ジュリアン・グリーン全集14 日記**』 小佐井伸二訳、人文書院)

 本に避難すること。同時に、本を避難させること。すなわち、「本」が身をひそめていられるような心身をたもつこと。のぞみをうしなわないこと。そのために、ときには、「今」から身をひきはがし、本を読み、本について、書く必要がある。「常套句(フレーズ)(カール・クラウス)から遠く離れて。

 窓から見える空は淡い灰色で、塵のような雪片が舞っている。散りながら消えてゆくちいさな花びらのようでもある。かたちのちがう二本の木が並んで立っている光景を、うつくしいと感じる。そしてまた、「本」がやってくる。

 じぶんが、この美しいきものをぬぎすてた、飾りけのない、あらあらしい自然のすがたを好きになれたことを、モグラは、うれしく思いました。モグラは、そのはだかの骨ぐみの中まで、はいりこんでみましたが、それは、しっかりしていて、強くて簡素でした。(ケネス・グレーアム『たのしい川べ』石井桃子訳、岩波書店)

2026年2月3日火曜日

『ある日』在庫について


 『ある日 読書と断片』は、在庫がなくなりまして、(なやみましたが)重版の予定です。おそらく今月下旬には出来上がると思います。ひきつづき、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 4か月前に本が届いたときは、こんなに刷ってどうしよう、と心細い気持ちでしたが、本屋さんたちがすすめてくださるおかげで、たくさんの方に、手にしていただけました。ほんとうにどうもありがとうございます。春からはじまる本なので、春に読みはじめる人がいると、いいなあ、と願いをこめつつ。

追記:重版は2月20日ごろ出来そうです。

追伸 誤植なおします