桜を見に、近所に出かける。大勢のひとたちが集まっていた。ステージで踊るなんとかレンジャーによろこぶ子どもたちの姿を見ながらビールをのみ、そのあとは、麦屋節(富山民謡)。民謡を、年をとるにつれ、好きになる。うたのなかに生きている、むかしのひとびとに会えるから。
すれちがう人の声を拾った。「ひとりでどこにでもいこうとしないで」。きつい口調で母親が子どもにいっていた。顔もしらない子どもに、こころのなかで話しかける。あっというまに、ひとりでどこにでもいける日がくるよと。
それから、桜なんてどうでもいい、とばかりに野球をするひとたちを見た。バッターが打った球は一二塁間に転がり、ランナーもバッターもアウトになる。あんなきれいなゲッツー、久しぶりに見たわ。一塁ベースコーチの声にうなずきながら、家に帰る。
それからベランダに椅子を出して、また桜を見た。思い出すこと、思い出すひとが多すぎて、感情をおさえられない。ひとりで花をみていると、毎年、そうなる。ひとりでいるときにしか、そうならない。それはようするに、「わたし」と桜がつくりだす、つかのまの映画のようなものなのか? 友だちがくれたはがきを読みかえす。
