湿気のせいか、もしくは朝から二時間半も全力で卓球したせいか、身体がとてもだるい。うつ伏せでくったりして、このあいだみたアンドリュー・ワイエスの描いたしんだカラスのことをぼんやりかんがえていた。カラスのからだから抜け出したたましいは、ワイエスのことが、きっとたまらなくすきだろう、と思った。それから、本を手に取った。
「現代美術」として通用するルリユール。しかし、不必要な細工は一切したくない。思わず手に取りたくなるような、手に取って読まずにいられなくなるような、そんな本がつくりたい。(栃折久美子『装丁ノート』)
そうだった。自分も、そんな本がつくりたかった。「時流」からはずれているような不安から、自分にとってたいせつなことや自分の資質を、見失いそうになっていたことに気付かされた。「本」の存在に、感謝した。
それから、かんがえたこと。1981年に書かれた言葉を、2026年にブックデザインという問題になやむひとりの人間(わたし)が読んで、力を得た、ということは、ちょっとおこがましいけれども、自分の書いたことも、40年後の本に関わる誰かが読んで、ひとりではない、と思ったり、するかもしれない。できたら、そのひとを力づけたい。今、求められなくてもいいから、40年後のそのひとに向けて、言葉を綴り、本を作ってみたくなった。書物は手紙、という、その意味が、ようやく、わかりつつある、ということだろうか。
『装丁ノート』は、1987年刊。活版印刷、糸かがり、見返し紙なし、別丁扉なし、と著者の書物観と美意識があらわれた、並製だけれど端正な、うつくしい本である。誠実であることはうつくしい。内容だけでなく、そのかたちによって伝わってくるものがあって、開きもよく組版もすっきりと読み心地がよいから、何度も読み返したくなる本だ。
