500ページ近い小説のゲラを、10日間ほどかけて、読み終えた。毎日、あと何ページ残っているか確認しながら、遠い目的地までゆっくり歩いていくように、読んできた。読み終えた瞬間、ある感慨があった。感動していた。とてもいい小説だったから。そして、それが終わってしまったから。同時に、一枚のペラペラの紙(ゲラ)をもって感動している自分が、なんだか、おかしいなと思った。手応えのあるものを受け取った。その手応えがほしかった。小説を読み終えることにとって、本を閉じるという行為が持つ意味は、おおきいのではないかと思う。そして、小説を読むことにとって、ページをめくるという行為が持つ意味についても、考えてみたい。ものがたりが「もの」であることのよさ。
昨日、本のしごとをしているともだちとのんでいて、装幀の話になり、松浦寿輝『巴』(講談社文芸文庫)のカバー表1の画像をみたその人が、「ロボットパルタじゃん!」といった。え、何それ。みてみると、確かに、ちょっと似ていた。「巴」がフリーズしたロボットにもみえてくる。この文字のかたちと、小説世界は、どうかかわっているのか。まったく関係がないのか。たしかめてみたい気もする。ひょっとしたら、読みすすめていくと、この「巴」の文字が、目覚めて、うごきだすなんてことが、あるのだろうか。
せっかくなので、ロボットパルタのアニメをみた。カクカクしたかたちでカクカクうごき、不明瞭なことばを話すパルタが、すっかりすきになった。主題歌も、よかった。「きみのためなら こわいことでも たのしいことに なんでもかえちゃう」。ともだち思いの、けなげなパルタ。
