ふつかよい。あたまがおもたい。昨夜ぬぎすてた服のかたまりから居酒屋のにおいがして、げんなりする。たのしかった。しかし、またよっぱらって乱暴狼藉をはたらいた、という思いで、おちこむ。のみすぎないようにしよう、と何度もじぶんにいいきかせながら会にのぞんだのに、のみすぎた。「あなた、山賊みたいに笑いますね」。のみすぎた翌日にあたまをよぎる言葉だが、どの本で読んだのか、思い出せない。
このところ、しごとばかりして、本のことばかりかんがえて、閉じこもっていた。昨日、バスから降りて、駅の階段を上るとき、こんなことでいいのだろうか、と思った。〈生〉をたのしんでいるのだろうかと。そのとき聞いていた音楽のせいかもしれなかった。森の奥から聞こえてくるような、ひそやかな響きを持つその声が、耳から身体にはいってきて、みずからの〈生〉をかえりみるように、うながした。
流浪の終点は死である。ボストンバッグを一つ持って出掛ける。自分の部屋から出て行く。ベビーダンスや本棚から離れること、持っているものから離れるのだ。それから家族や友人や貯金通帳とも離れるのである。なんと素晴らしいことだろう、裸で生れてきたのに生きているうちにいろんなものが纏いついてしまう。それは、ダニだ。持ち物、家族、友人、ダニだよ、流浪はそのダニから離れることが出来るのである。(深沢七郎『書かなければよかったのに日記』中公文庫)
「ダニ」が3回出てくるが、2回目の「ダニだよ」が、なんだかすごいと思った。この語にまとわりつかれてしまったのを振りはらおうとして、ここにうつす。
