本を数冊買いもとめた日の翌朝は落ちつかない。やってきたばかりの本や、このあいだやってきた本や、ずっとあった本を、気の向くままにぱらぱらめくり拾い読んでいると、それぞれの本の言葉にひかれ、ふかく共鳴するような感覚をおぼえる。さまざまな音が鳴っている。もっと読みたい、読まなければ。そうした思いも、その音によって、みだされてしまう。
ドアを開けて外に出る。強い風にのって走っていく枯れ葉たちとすれちがった。もう退散します、といったような風情でどこかへ去っていった。橋のところで、かすかに、よい匂いがした。帰りに、また風が、その匂いをはこんできたので、花をさがした。どこにいる? すぐには見つからず、左右を見まわしながら、歩いて、見つけた、低い木の、ちいさな花。まだはんぶん以上は、蕾だった。沈丁花の匂いを、どうあらわしたらよいのか、わからない。よい匂い。きよらかな匂い。おくゆかしい匂い。うつくしい匂い。
一昨日の夜中、足が二度つった。しぬかと思うほど痛くて、今もまだすこし痛い。昨夜の卓球でも、足があまり動かなかった。動画を撮りたいというひとに協力して、その動画を送ってもらって見ると、角度のせいか、体型のせいか、前傾姿勢のせいか、どこか、熊っぽかった。体は重そうだが、ここぞというときに相手に一撃をくらわせるところとか(比較的フォアハンドが強い)。球技をおぼえた熊。もっとかろやかにプレーしているつもりだったのに。
午後、バシュラールをときどき繙きつつ、針と糸を使った制作をすすめる。
書かれた夢想を知るもの、ペンの流れとともに生きること、十全に生きることを知るものにとって、現実世界は何と遠いものだろう。いわねばならなかったことが、思わず書きたくなるものによってたちまちとってかわられるので、書かれる言語が自分自身の世界を創造することがよくわかる。(G・バシュラール『空と夢』宇佐見英治訳)
軽くなるためには、書かなければならない。「動体(モビール)」になるために、書くこと、夢をみること。
