2023年7月16日日曜日

拾い読み日記 287


 転居にともなう雑務に心身ともにつかれ、このところ、横たわってぐだぐだしている時間が多かったが、ようやく、気力が回復したみたいだ。

 武田花写真集『猫・陽のあたる場所』を開いて眺める。猫たちは、撮られることをまったく意に介していなくて、どうでもいい、という顔をしている。その顔を、たまらなくすきだと思う。かわいい、という言葉は似合わない、クールな猫たち。撮るものと撮られるもののあいだの距離が、ここちよい。

 刊行が1987年で、あとがきに、「ここに写っている風景は、今はほとんどありません」とあるので、おそらく、40年以上前の猫と風景を、見ていることになる。1990年に上京した自分が目にしたはずもない風景なのに、せつないくらい、なつかしいと感じる。今はもういない猫。消えてしまった風景。なくなったものは、とりかえしがつかない。それでも、こうやって、なつかしみつづけることはできる。

 ページに目を落としていて、ひらめきのように、あるかんがえがうかんだ。それは、自分の心をしばっているのは、自分なのではないか、ということで、それまで、しばられているとも感じていなかった気がするのに、奇妙なことだが、ともかく、そのしばりが、いままさに、ほどかれていくような解放感をあじわった。

 今度の引っ越しは、かぞえてみると、10回目になる。窓からの眺めと別れることだけが、すこしさみしい。バッサリ切られてから、夏草のような速さでのびつづける木。

 あたらしい生活、すなわち、あたらしい生が、はじまる。そんな気持ちでいる。