2023年8月13日日曜日

拾い読み日記 289


 あたりまえのことだが、引っ越しをすると、さまざまなことが変わる。たべる場所、くつろぐ場所、ねむる場所。毎日見る景色、使う道具の位置、話す声の響きかた、流しの高さ、部屋の匂い、周囲の物音、風のながれ方、そのほか、気づいていないこと、気づいていても言葉にできないこと。たくさんの、いろいろなことが変化して、ようやくそれらに、身体が慣れてきた。
 まともに読んだり、書いたりすることもできなくなっていた。本棚に並べた本たちに、まったく心が動かなくて、手にとる気力もなくて、そうなってみると本という物は心を重くするばかりで、すべて売り払いたいような気持ちにもなった。

 しかし、戻ってきた。
今日は、なんとなく目にとまった、中島敦『南洋通信』(増補新版、中公文庫)を読んだ。暑さで頭が働かない、と書く中島敦だが、遠のいてしまった本の世界を、うとましく思うことはない。遠い南の地で、かつての書斎の風景を、いとおしそうに思い起こす。

 (……)アナトール・フランス全集(英語の)の朱色の背に、陽のあたっていたのなんかもなつかしいな。精神的にも、もうオレはアナトール・フランスからまるで遠く離れて了った。妙な人間になりはてたよ。釘本からも手紙が来て、何か、書くように言って来たが、こちらは書くどころの騒ぎじゃない、サイパンへ来て、多少涼しい風が吹くので、少し本でも読んでみたい気が起った位のところだ。原稿を書くなんて、何処か、よその世界の話のような気がする。そういう意味の返事を釘本に出してやったよ。それでもね、パラオにはないが、サイパンには、岩波文庫を(ほんの少しだけど)並べている店が一軒あるんだよ。それだけでも、いささか頼もしい気がしたよ。(1941年12月2日 中島たか宛書簡)

 書けないつらさと苦しみは、ほかの手紙にも書いてあって、それは読んでいて、胸が痛くなるほどの強さだった。