立ち飲み屋で手から滑り落ちたiPhoneの画面が割れた。叩き割られたみたいな割れ方だった。8年使ったので、そろそろくたびれている感じもしていた。遅かったり、かたまったり、熱くなったり。自分の寿命を悟って、自ら壊れにいったのかもしれない。ありがとう、といって別れた。面倒くさくてずうっとのばしのばしにしていた機種変更が、ようやく出来た。あたらしい端末を持って、知らない町を歩く。もう、現在位置がわからなくなることもない。この先、道に迷うことはないのだろうか。それは、とても、貧しいことではないだろうか。
「自分がどこにいるのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、どうしたらよいのか。何もかもがよくわからず、わかりたいという積極的な意志も曖昧に稀薄化し、世界と自分が流動的に溶けあっている時空をただ熱病的に漂流していたいという欲望へと向けて軀をひらききり、迷子になった幼児の不安の甘美な倒錯性のなかで溺れてしまうこと。」(松浦寿輝『スローモーション』)
バス停で、所在なげにしている若い人がいて、バスは来ますか、とたずねると、まだ来ない、という。ちらと時刻表を見ると、最後のバスが来る時刻はとっくのとうに過ぎていた。あの人は、きっと、別の時間のなかにいて、何らかのゆがみによって、すれちがうことができたのかもしれない、と今になって思う。あの人の時間のなかに、まぎれこんでみたい。
「自分がどこにいるのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、どうしたらよいのか。何もかもがよくわからず、わかりたいという積極的な意志も曖昧に稀薄化し、世界と自分が流動的に溶けあっている時空をただ熱病的に漂流していたいという欲望へと向けて軀をひらききり、迷子になった幼児の不安の甘美な倒錯性のなかで溺れてしまうこと。」(松浦寿輝『スローモーション』)
バス停で、所在なげにしている若い人がいて、バスは来ますか、とたずねると、まだ来ない、という。ちらと時刻表を見ると、最後のバスが来る時刻はとっくのとうに過ぎていた。あの人は、きっと、別の時間のなかにいて、何らかのゆがみによって、すれちがうことができたのかもしれない、と今になって思う。あの人の時間のなかに、まぎれこんでみたい。