2020年2月24日月曜日

拾い読み日記 158


 一昨日あたりから花粉症がひどくなり、つらい。鼻が詰まり、集中できず、本も、ほとんど読めない。

 ラジオのヴィオラ特集を聞いていたら、流れてきたバッハの曲に、強くひきこまれた。「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」という曲だった。細川俊夫編曲、今井信子(ヴィオラ)、R.ペンティネン(ピアノ)。音楽は、ときどき、おだやかにうねり、ひかり、ゆらめきながれる水となって、こころをとらえ、みたす。すこしだけ、目がにじんだ。罪をおかして、悔いあらため、ようやく赦しを得たひとみたいに、神妙に、耳をかたむけていた。
 聞き終えて、音源を探しだし、また聞いてみたのだが、最初に聞いたときの感情は、もう、うしなわれていた。

 「ああ、きこえなくなった。」ネズミは、がっくりうしろへよりかかりながら、ため息をつきました。「とても美しくて、ふしぎな、ききなれない音だった。こんなに早くきこえなくなるんなら、いっそ、きかなければよかった。なんだか、ぼくの胸に、苦しいほどのあこがれの気もちを起こさせてしまったのだ。もう一度、あの音をきいて、そして、いつまでもきいていたい。いまは、それだけが、ぼくののぞみだ。ああ、またきこえる!」(ケネス・グレーアム『たのしい川べ』)

 「苦しいほどのあこがれの気もち」は、ふだんは眠っているが、うつくしいものに触れると、目覚める。自分のもののようで、自分のものでないような、その気持ち。
 日記を書いているうちにあたまをよぎった『たのしい川べ』を、本棚から取り出して、書きうつした。音楽からみちびかれた、今日の読書。なぐさめとしてのことば、ものがたり。