2025年1月7日火曜日

六花


 『六花』という冊子をつくっています。りっか、ろっか、むつのはな。雪のことです。
 雪をモチーフとした宮下香代さんの作品と、雪のことばをあわせて、一冊にしました。すこし、活版印刷のページもありまして、いま、家で、印刷中です。
 1月18日からGallery SUで開催される宮下さんの展示「六花」でご覧いただけますので、ぜひ足をお運びいただけたら幸いです。
 くわしくは、こちらに。




 今年も、New Year Greetings展に参加しています。盛岡の書肆みず盛りにて。
 書肆みず盛りに、昨年10月、はじめて訪ねることができました。木のにおいのする、あたたかなかんじの場所でした。
 年賀状展の参加者のなかに、なつかしい名前もあって、こうして、あたらしい場所で、いっしょに展示してもらえることを、うれしく思っています。
 お近くの方、どうぞよろしくお願いします。



2024年12月29日日曜日

拾い読み日記 313

 
 一年が終わりにむかう、このごろの街の雰囲気が、きらいではない。終わりがあって、はじまりがある。自分もあたらしくなって、また何かをはじめられそうな気がする。

 先日、一年ぶりに演劇を見にいった。永井愛作「こんばんは、父さん」。廃業した町の工場を舞台にした、切羽詰まった父と息子と借金取りのやりとりは、すばらしくおもしろくて、濃密で、見て、よかった。
 永井愛さんのつくる劇には、人間に、人間らしくあってほしい、という願いがこめられている気がする。社会のなかで生きる人間には、ままならないことも、どうにもできないこともあるけれど、自分の心身と、自分の人生を、ないがしろにしない気持ちがあれば、そのうち、事態は変わっていく。光がさしてくる瞬間が、きっとおとずれる。永井さんの舞台を見にいくようになって、しだいに、そんなふうに思うようになった。本と同じように、演劇のことばも、ゆっくりと届くものなのだと思う。

 劇が終わって、暗くなって、ぱっとライトがついた瞬間、魔法がとけたような、さみしい気持ちになった。もっとあの3人を見ていたかったのに、いなくなってしまった。
 かわりにあらわれた3人の役者は、それぞれ、役の人生を生ききって、ほんとうにいい顔をしていた。
 「いい人生を」。またひとつ、わすれられない言葉がふえた。

 サイコロ状の木片に、ランダムにひらがなが貼ってある「もんじろう」というゲームを買った。ころころ転がして、言葉を組み合わせてあそんでいると、夢中になる。昨日は、食後に、Mといっしょにあそんだ。1分以内に、どれだけひらがな3文字以上の単語がつくれるか、というあそびである。目に入った「こ」と「う」と「ん」とで、咄嗟に単語をつくったら、ふたりとも笑いがとまらなくなり、それしかつくれなかった。無念だった。なぜ、もうひとつ「う」を見つけて、「こううん」にしなかったのだろう。それに、あとからかんがえると、「うこん」だって、よかったのだ。

 リディア・デイヴィス『話の終わり』を読みすすめる。とてもおもしろいのだが、おそらく昨日よんだ一節のせいで、明け方、とても怖い夢をみた。

2024年12月23日月曜日

拾い読み日記 312

 
 また 川を見に
 行こう と考える
 いま それ以上の ことを
 考えることができない
 血のことを 考えるよりも
 川のことを考える
 ほうがよい
 日本には ついに
 思想らしい思想は 生れないのか、
 と悲しみながら
 風の日の しめ切った あつい
 電車に乗っている。
 きみは悲劇的な
 死者たちばかりを愛している。 

 飯島耕一「川と河」より

 どうしてこの詩のこの一節に惹かれたのかはわからないが、書きうつしておきたいと思った。声に出して読んでみた。一字空きと、改行のしかたが、今の気持ちに、合っていたのかもしれない。詩を読むことは、つかのま、ひとの呼吸で、いきることにひとしいと思う。

 突然、米津玄師のことが気になって、「さよーならまたいつか!」のMVをみた。これまでほとんど興味がなかったのに、何度かみているうちに、表情や声や仕草に、じぶんでも不思議なくらいひきつけられた。こんなに赤い上下が似合うひとが、ほかにいるだろうか?
 「100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!」。
 知らねえけれど、という言葉が、みょうに、いいのだった。解放感がある。

 一昨日から、ネットでニュースをみるのをやめた。Xをみるのもやめた。
 そのかわりに、新聞をとりはじめた。新聞が、朝と、午後に届くことの、ありがたさ。紙をめくって、読む。読み終えて、紙をたたむ。そのよさを、ずうっと忘れていた。

2024年12月5日木曜日

近況


 十田撓子さんの詩集『あさつなぎ』刊行記念展にご来場のみなさま、ありがとうございました。本は、ひきつづき、Titleにありますので、ぜひ、見ていただけたらうれしいです。
 2階の窓から入る光で詩集がかがやいていたようすを、ときおり思いだしています。
 秋田市の喫茶店「交点」では、3回にわたって、朗読とトークのイベントが開催されています。

 今は、造形作家の宮下香代さんと、本をつくっています。香代さんの作品にあわせて、詩、俳句、随筆、歌をえらび、組んでみました。
 一年ぶりに印刷機もうごかす予定です。うまく刷れますように……。
 くわしくは、あらためてお知らせします。

 それから、明日発売の『群像』1月号に、エッセイ「放たれたページ」を寄稿しました。


 日記が書けなくなったので、書くということを、とても新鮮に感じました。あたまにうかんだことを言葉にして、それを読んでみて、その言葉からまたあらたに感じたことを言葉にして、それをくりかえして、いったりきたりでふらふらしながら、ほそい道のようなものを見つけて、あるいていく。そんなふうに、書きました。

 どうして日記が書けなくなったのか、たぶん、もろもろのしごとで心身をつかいはたしたから、というのもあると思いますが、書いたらすぐに公開、という速さも、自分に合っていないのかもしれない、と思うようになりました。速さ、だけでなく、かんたんさ、ということにも、多少のうたがいがあります。(といいながら、書きたくなったら、また書きます。)

 つくるだけでなく、つくったものを、どんなふうに手にしてもらいたいのか、どんなふうに読んでもらいたいのか、そこまで、できるだけかんがえて、活動をつづけていこうと思います。だいじなのは、自由な気持ちでいられるかどうか。自分のリズムとやりかたを、これからも、さぐりながら。
 
 12月になったのに、まだあまり寒くなくて、ふしぎな冬です。風に舞う葉や、路上の落ち葉がうつくしいので、ぼうっと眺めたりしています。

2024年11月14日木曜日

拾い読み日記 311

 
 このところ、激しい感情の波に溺れかけていたようで、心身を消耗した。
 珈琲をのみながら、メイ・サートンの『独り居の日記』を開いて、読んだ。読むのは、どこでもよかった。
 波がしずまりつつあるのを感じた。いきているかぎりは、このように、こころに嵐がやってきて、去って、というのを、くりかえすのだろう。

 展示がおわったことと、卓球の大会で入賞したことの打ち上げで、Mと、昼も夜もビールをのんだ。

 そう書いてから、2週間くらい経っただろうか。
 今日は、朝、パンケーキを焼いてたべた。窓から見える欅の木が色づきはじめていて、眺めているだけで、幸福を感じた。

 すっかり気持ちもおちついている。
 亡くなったとつたえ聞いた、ふるい友人のことを、書いて、消した。

2024年11月9日土曜日

「あさつなぎ」展




 Titleにて開催中の『あさつなぎ』刊行記念展、会期も残りすくなくなってきました。ぜひ会場で、十田撓子さんの詩の世界に、ふれてみてください。

 詩を書く/読むことについて、詩集をつくることについて、手紙と書物について、この10年くらい、(ぼんやりと)考えてきましたが、おなじようなことを考えずにはいられない人に、見てもらえたらいいなあと思います。

2024年10月8日火曜日

あさつなぎ


 

 十田撓子さんの新詩集『あさつなぎ』の刊行記念展を10月25日から荻窪のTitleで開催します。

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 秋田県鹿角市に生まれ育った詩人、十田撓子は、土地の記憶と、美しく、時に厳しい鹿角の自然に育まれた幼年時代の心象風景を大切にしながら、ひとつひとつの詩を紡いでいます。H氏賞を受賞した第一詩集『銘度利加』から7年、新詩集『あさつなぎ』の刊行を記念して、関連する写真や地図、原稿などを展示いたします。


日時=2024年10月25日(金)~11月12日(火) 10月30日(水)、11月5日(火)、6日(水)休み

12時〜19時30分 (日曜:19時まで、31日:18時まで、最終日:17時まで)


会場=Title 2階ギャラリー(東京都杉並区桃井1-5-2)
 
◎朗読/トークイベント
朗読:十田撓子 トーク:宇野邦一
・日時:10月31日(木)19時30分〜(21時終了予定) 開場19時
・会場:Title 1階特設スペース
・料金:2500円
・定員:25名

◎十田撓子『あさつなぎ』11月刊 編集・造本:山元伸子(ヒロイヨミ社) 発行:Le Petit  Nomade

詳細はTitleのウェブサイトをごらんください。