2021年4月18日日曜日

拾い読み日記 235

 
 よく晴れて、風のつよい日曜日。木は、一日中、揺れていた。光りながら踊りくるう生きもののようで、目がはなせない。枝葉のあいだから、きれはしみたいな青空が見えた。

 今日の読書は『「利他」とは何か』。伊藤亜紗さんの章を読んだ。まわりに対して、どこかこわばっていた気持ちが、すこし、ときほぐされたようだった。

 古本屋さんで、ピーターラビットの絵本をまとめ買いした。この春、ピーターラビット愛が高まっている。ポターの描くどうぶつたちのからだは、しなやかで、やわらかそうで、さわってみたくなる。絵だけでなく、こんな音にも、動物たちのうごきがみごとにあらわれている。
 
 ぴた ぱた ぱたり ぱた、ぴた ぱた よたり ぱた!

 あひるが一列になってあるいてくる。それを3匹の子猫が見ている。あひるが猫の服を拾って着て、また同じ足どりで、しれっと帰っていくところが、よかった。「や、いいおてんきで。では、さようなら」

 この春、ピーターラビットのTシャツまで買ってしまった。どのように着こなせばよいのだろう。

2021年4月17日土曜日

拾い読み日記 234

 
 くもり、のち雨の土曜日。製本したり、装幀のラフをつくったり。思ったより早くおわったので、ゆっくり過ごす。ゆっくりが大事。

 蜂飼耳訳の『方丈記』を読んだ。現代語訳で読んでから、原文で。組みがいいのか、すらすら読める。あたまのなかに流れることばがここちよい。

 いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身をやどし、たまゆらも心をやすむべき。

 これは、もっとも心をひかれた文章、というよりは、このところぼんやりかんがえていたこと、そのままだった。

 それから、大根を煮ながら、ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』を読み始める。以前持っていたのだが、昨日、買い直したのだった。このところの読書傾向のあらわれが、あまりにもわかりやすすぎて、じぶんでもどうかと思う。
 鴨長明と、同じことをいっている、と何度か思った。鴨長明は、アン・モロウ・リンドバーグと同じことをいっていた。

2021年4月14日水曜日

拾い読み日記 233

  
 遅く起きた朝、うちころされる夢をみた、と夫にいうと、そういう夢、よくみるね、とあっさり返される。たしかに、逃げまどう夢とか追いつめられる夢はよくみるけれど、最近はあまりみていなかった。夢のなかでうちころされて、しんだらしいけれど意識はあって、その、銃を持った男になにか仕返しして、こわがらせてやろう、と思ったことはおぼえている。
 気圧のせいか、季節のせいか、眠くて眠くてしかたがない。疲れているのだろうか。ときどき夫は、おれらも年だから、という。おれとおまえは年がちがうだろ、と思うが、あえていわない。

 昨日買った小津夜景『いつかたこぶねになる日』をすこし読む。すごくおもしろい。おもしろいのに、すこししか読めない。あした、また読もう。

 確定申告もぶじにおわり、ほっとして、いきつけのイタリアンへ。蛤と筍と春キャベツのクリームリゾットがおいしくておいしくて、誰かに、おいしいね、といいたくてたまらなかったが、ひとりなので、あたまのなかで、おいしい! おいしい!とさけんでいた。

 スマホをほとんど見なくなった。オセロが強くなりつつある。

2021年4月11日日曜日

拾い読み日記 232

 
 確定申告もぶじにおわりそうで、ほっとして、ひさしぶりにひとりで居酒屋に行ってみた。カウンターで、お刺身とビール。となりと席は離れているが、そうとうのんでいる女性がいて、うるさかった。ひとりでのんでいると、まわりの酔っ払いを、ひややかな目で見てしまう。なんてやばんで、げひんで、ばかっぽいのだろう、と。とはいえ、もし酔っ払ったじぶんがそこにいたら、きっと同じことを思うだろう。

 やってみたいことを思いついて、そわそわして、何も手につかない。スマホを見過ぎるのをやめて、ネットも控えめにしているのに、オセロのゲームをやりはじめたら、一時間以上経っていた。黒が白に、白が黒に、たえまなく裏返っていくさまが、おもしろい。たいてい大敗する。ときどき勝つ。10回に1回くらい。だからやめられないのかもしれない。あそばれているのか。

 山崎方代の歌集『迦葉』を開く。
 
 欄外の人物として生きて来た 夏は酢蛸を召し上がれ

 何者にもなりたくない、という思いに、歌がよりそってくれる。方代が尾形亀之助の詩を愛読していたことは、随筆集『青じその花』で知った。現代詩文庫を駅前の本屋でたまたま見つけて、感激しながら読んだそうだ。
 見えていなかったつながりを知ることは、おもしろいことだ。
 そういえば昨日は、生たこの刺身をたべた。

2021年4月5日月曜日

拾い読み日記 231

  
 ときどき拾い読みしていたが、最近は本棚にあることも忘れていたデイヴィッド・アーモンドの『ミナの物語』を、最初から読んでみようかな、と思いついて、読んでいる。ミナは、とても元気で、たのもしくて、素敵だ。ついていきたくなる。

 世界を見てごらん。においを嗅いで、味わって、耳をすまして、感じて、よく見る。ようく見るんだよ!

 本棚を増やして、本の整理をした。もっともっと片付けて、身も心もすがすがしくしたい。そしたらもっと、ようく見ることができるのではないか。

 まだ4月のはじめなのに、日に日に木が緑色になり、まるで初夏のようだと思う。

2021年3月15日月曜日

拾い読み日記 230


 柿の木に小さな葉がつきはじめて、そのかがやくうすみどり色を見ていると、あかるい気持ちになる。冬のあいだはあまり姿を見せなかったヒヨドリが、たびたびやってくるようになった。今朝、窓を開けると、あわててどこかに飛んでいった。ぴょーんぴょーんと跳ねるようにして飛ぶから、球みたい、と思ってたのしくなる。

 今日は大きな本屋ですきなだけ本を買おう、と決めて、4冊買った。散文詩集、エッセイ集、俳論、小冊子。こころがすこやかになってきたのか、どの本を読んでも、おもしろく感じる。たくさん読みたい。

 制作もしたい。言葉にしたいのか、言葉にできないことをかたちにしたいのか、よくわからない、ちょっと混乱した状態。ただ、何かが胸の奥のほうにあって、それが外に出たがっているような、奇妙な感じがする。


2021年3月4日木曜日

拾い読み日記 229


 柿の木に鳥がやってきて、あまり聞いたことのない声で囀っていた。逆光でよく見えなかったが、メジロのようだった。可憐で、みずみずしくて、複雑で、澄んでいて、美しい音楽を聴いているみたいだった。木は、日のあたるところから芽吹きはじめている。

 白木蓮の花が開きだして、あの花の白は、イエローとシアン、両方はいっているのかな? とかんがえたりして、すこし、しごとでつかれているのかもしれない。

 木蓮は開ききつたり犬を抱く  田中裕明

 開ききったものを見ていると不安になる気持ちは、とてもよくわかる。そういうときは、しっとりとあたたかい、ちいさな生きもののようなもののことを思いだして、胸に抱くように、ずっと思っていたらいい。

 春が近いせいか、気分も上がり下がり、ゆらゆら、ふわふわ、ざわざわした感じ。
 ラジオで聞いた「会いたいね。゜(゜´ω`゜)゜」という曲の長谷川白紙という人の声に、突然、すごくひかれて、そのふるえる糸みたいな繊細な声を聞いていると、からだに小さな震えがはしり、ほんとうに何か、目に見えないものにふれているような気がした。何度もくりかえし聞いているから、そのうちあきるだろうけれど、あきるまでは、聞くだろう。「呼吸で解る飛翔のしくみ」。耳にずっとのこることば。