2021年5月4日火曜日

拾い読み日記 238

 
 窓を開けると木の中にはいりこむような感じになる。ときどき鳩に会う。木の中にいる鳩は、ずいぶんくつろいで、羽づくろいしている。へんなかっこうをすることもある。孔雀みたいに羽を広げてみたり。一度鳴いているところをみた。すぐそこにいるのに、どこかよそから聞こえるような、ふしぎな声。路上で鳩を見かけてもときめくことはないが、木にいる鳩を見ると、うれしい。愛らしい。南桂子の絵みたいだ、と思う。
 
 このところ、吉田健一の『わが人生処方』を、拾い読みしている。

 ジイドの「背徳者」に主人公がどこかの公園でホメロスの数行を読んでその日はそれだけで充分だと感じたといふ一節がある。さうあるべきであつて言葉といふものにはそれだけの力があり、その余韻が響くだけの生活が、それは結局は生命力が自分になければ再び前に戻つてその方を手に入れることに専念すべきである。(「本を読む為に」)

 スマホはほとんど見なくなったけれど、まだ、文字を読みすぎている、と感じる。もっと余白がほしい。言葉を響かせるための余白が。