2021年5月13日木曜日

拾い読み日記 241

 
 いつも木に来る鳩が、いつも同じであるようだ、と今日気がついた。首のところに細かい白黒のしましまがあって、おしゃれだな、と思っていて、それが目印になった。それで、名前をつけたくなった。鳩子、ポッポー、クルックー……。ろくな名前を思いつけなかったので、英語で鳩は、なんというのかしらべてみた。pigeon。ピジョン。フランス語でも同じ。イタリア語では、piccione。いい響きだ。ピッチョーネにしようと思う。ピッチョーネは、窓を開けてもしらん顔をしているときもあれば、目をパチパチさせて、すこし遠ざかるときもある。いつもだいたい同じ枝にいる。明日もやってきたら、うれしい。

 夫がシャツワンピースをためしに着てみたいというので、昨夜、あれこれ試着させてあげた。黒いワンピースを着ると、神父みたいに見えた。神父というか、神学生。ジャコメッリの写真みたいな。グレーのグレンチェックのワンピースも、グレーと白のストライプのワンピースも、なかなか似合っていた。下にジーンズをはいていたせいかもしれない。服は、着る人によって、変わるのだな、と思った。変わるのは、何も人だけではなくて。
 すごくたのしそうなので、自分もなにかそういうあたらしい試みをしてみたくなった。だが、べつに着てみたいものはない。身につけたくないものだけははっきりしている。ヒールのある靴と、ストッキング、きつい下着、などなど。押しつけられているような気分になるものは、すべて苦手だ。

 「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは毎日話をしたい位です。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」

 最近、『草枕』の一節をよく思い出す。