午前中、ある方から謄写版の道具一式が届いた。持ち主の方は亡くなっていて、その方が出された句集が一緒に入っていた。19歳から85歳までのあいだにつくられた俳句。ぱらぱらと、めくって読む。とても豊かな生を生きた方だなあと感じた。道具はどれも、丁寧に使われていたように見える。
まだ、言葉にならない気持ちの中にいるけれど、まるで、ひとりのひとに、出会ってすぐに別れたようだ。茫然としてしまった。
今日も、街に出て散歩するかわりに、本棚から目についた本をひきだして、すきなところを読む。「味わうまでは、ないことに気づかなかった、あるいは忘れていた、そしていま、今後も永遠にないのだと気づく感情。憧憬。美の体験は私のなかの欠如を意識させる。私が経験するもの、触れるものには、喜びと痛みがふたつながらにある。」(ペーター・ツムトア『建築を考える』)
ceroの「outdoors」を何度かきいた(みた)。いつかきいて、すごく好きだったのに、すっかり忘れてしまっていた歌のよう。とても美しい曲だ。「何かをなつかしむほど生きてないのに 少しずつからだは死んでいく」
午前中、取れてしまったカブトムシの足は、もとにもどらないの? と、子どもがラジオで相談していた。恐竜の肉はおいしいの? と聞く子もいた。夏休みの子どもたち。