2018年7月7日土曜日

拾い読み日記 42


 吉祥寺で「江上茂雄:風景日記」をみたあと、三鷹に戻って喫茶店で本を読んだ。しばらく詩を読んでいない、とはたと気づいて目にとまった『川田絢音詩集』だった。長い詩を読む気力がなくて、短い詩を探して読んだ。何度かくりかえして読んでみて、ふと、朗読したくなった。もしくは、誰かの声で、聞いてみたい気がした。

   夜

 黒ずんでべろんとした敷石 濡れてひかっている露地を
 歩きながら
 悲しみがこみあげて
 よその家のベルを チッと鳴らした
 知らない車に乗ってしまいどこかに連れていかれる
 ということだって
 考えられる
 建物の
 石の壁に手の甲を擦りつけて
 痛くなるまで
 擦りつけながら歩いていく


 江上茂雄さんは、島崎藤村が好きだという。「春」の一節をあげられていた。「あゝ、自分のやうなものでも、どうかして生きたい。」
 毎日、毎日、風景を描き続けるということが、実感として、わからないけれど、なんとなく、豊かな感じがして、憧れのような気持ちがわく。会場にいくつか貼ってあった言葉の中に、魂を鎮めるため、という言葉があった気がするが、どういう文脈のものだったろうか。

 昨夜は、遠くで花火が上がっていた。遠い花火は小さくて可憐な花のようで、幻をみているようだった。家の前で傘をさして、しばらく見ていた。

 今日は、七夕。風が強くて暑い。