2025年12月13日土曜日

装訂について


 法政大学出版局のnoteに、斉藤毅さんの著書『石原吉郎の詩の構造』の装訂についてのエッセイを寄せました。

2025年11月30日日曜日

バタイユとアナーキズム


 法政大学出版局のnoteに、酒井健さんの著書『バタイユとアナーキズム』の装訂についてのエッセイを寄せました。主に、どういうふうに装画ができたか、ということを書いています。
この本は、行き詰まっている人、詩を愛する人、何かを制作している人に、とくにおすすめします。


2025年11月23日日曜日

ある日 読書と断片(2)


 『ある日 読書と断片』は、以下のお店で取り扱っていただいています。どこかで見ていただけたらうれしいです。

BOOKNERD(岩手)
ペンギン文庫(山形)
button(宮城)
曲線(宮城)
本屋ひとりごこち(埼玉)
Title(東京)
日記屋  月日(東京)
Amleteron(東京)
栞日(長野)
ON READING(愛知)
余波舎/NAGORO BOOKS(京都)
toi books (大阪)
葉ね文庫(大阪)
blackbird books(大阪)
Calo Bookshop & Cafe(大阪)
本屋とほん(奈良)
ほんの入り口(奈良)
本の栞(兵庫)
ロバの本屋(山口)
READAN DEAT(広島)
本屋ルヌガンガ(香川)
ナツメ書店(福岡)
ひとやすみ書店(長崎)
Bareishoten(大分)


 読んでくださった方から、本が読みたくなった、とか、何か書いてみたくなった、とかいわれると、作ってよかったなと思います。わたし自身も、読み返すと、そういう気持ちになります。
 ヒロイヨミ社をはじめたころは、自分で自分の本を作ることなどまったく考えていませんでしたが、自分の身体や感覚にしたがって活動を続けてきたら、こういうものができた、という感じです。
 このように書いて気付きましたが、以前は、自分で自分の本を作ることに、ちょっと、はずかしさを感じていたようです。でも今は、全然そんなふうには思っていません。

 すきな映画監督が、10年ほど前に対談でいっていました。「職人的な、手仕事的な部分をつねに持っておくことが、ぼくには必要なんだ。仲間との関係から生まれる部分、ちょっとした日曜大工的な部分。もしすべてがあまりにプロ風になってしまったら、なぜ自分が映画をつくっているのか、わからなくなってしまうだろう。自分が映画をつくる理由、それはまさに、ある特定のやり方で、近しい人々と一緒に映画をつくるためだ。この社会とは別のところで自由の空間を手にすること。撮影行為とはそういうものだ。」(ギヨーム・ブラック)

 これを読んだとき、この社会とは別のところで自由の空間を手にすること、という言葉に特にこころ打たれて、書き留めておいたのでした。

 これからも、本の仕事をしながら、本を読みながら、書きたいことを書いて、作ってみたいものを作っていこうと思います。〈本〉とはなんだろう、という問いの渦中にいるために。自由の空間で、その問いをいきることができるように。

2025年11月15日土曜日

X'mas day in the next life


 昨日から風邪気味。喉と鼻がおかしい。だるいので、横になって目を閉じたり開いたりしていた。ちいさな画面でドラマをみた。疑似家族の話はすきだ。

 薬と食材を買いに外に出る。親子丼を作ろうと思って干し椎茸を戻してきたが、やっぱりお昼はもっとかんたんにすませたいと思い、パン売り場でサンドイッチを凝視していたら、すきなクリスマスソングが聞こえてきた。高橋幸宏の「X'mas day in the next life」だった。びっくりして、しばらく足を止めて聞いていた。11月1日のスーパーでクリスマスの歌を聞く奇妙さと、「偶然」の不思議にうたれて、ぼんやりしてしまう。高橋幸宏の、風になびく枯れ草のような歌声は、休日のにぎやかなスーパーマーケットにまったく似つかわしくなくて、どこか、非現実的な感じがした。
 
 芥川の書簡集を少しだけ読んで、「偶然」の大きな力について考える。自分の意志よりも強くどこかへ人を連れ去る、はかりしれないその力について。

2025年11月12日水曜日

石原吉郎の詩の構造



 斉藤毅さんの著書『石原吉郎の詩の構造 他者、言語、世界』(法政大学出版局刊)を装訂しました。装画は、活字の裏の部分(ゲタ:〓)を手で押してつくったものです。まもなく書店に並びます。それとももう並んでいるのでしょうか? わたしもぜひ書店で見てみたい、と思っています。

 先月刊行された酒井健さんの『バタイユとアナーキズム アナーキーな、あまりにアナーキーな』と同じく、法政大学出版局の編集者、赤羽健さんとの仕事でした。また、装訂について、ふりかえる機会をいただきましたので、出来上がった2冊の本をゆっくりひもときつつ、制作上での出来事のひとつひとつを、思いかえしているところです。


 ヒロイヨミ社の新刊『ある日 読書と断片』についても、追って、お知らせします。どうぞよろしくお願いいたします。

2025年10月21日火曜日

言葉と冊子と




 ヒロイヨミ社「言葉と冊子」展、福岡県古賀市のナツメ書店で開催中です。
 これまでにつくった冊子の余白と、通じ合うような空間になりました。建物の雰囲気もあり、しずかに、言葉と過ごせる場所になった気がします。こういう空間を、本のなかに、つくりたかったのだなあ、と思いました。
 ヒロイヨミ朗読会も開催できて、うれしかったです。声に出して読むこと。読む声を聞くこと。本と言葉への思いを話し合うこと。ひとつひとつのよろこびを、終わったあとも、感じています。

 翌日は、博多から京都へ。編集工房ノア50周年の会に参加しました。なつかしい人もはじめましての人も、みな編集工房ノアと山田稔さんという作家を深く敬愛しているのが伝わってきて、ほんとうに、すばらしい会でした。みな、すこし、地上から浮いて、ふわふわしていたようでした。(わたしだけかもしれません)
 記念冊子『ノアの50年』を読んでいたら、まだ、じぶんは、ノアのビギナーのような気がしました。みなさんのノアの本への想いが、あたらしい扉になって、これからまた、編集工房ノアの本たちと、深く出会っていけるような予感がします。
 あらためて、50周年、おめでとうございます。

2025年10月19日日曜日

拾い読み日記 337


 どんより暗い日曜日。今日も午後は長めの昼寝。まだ、もとの生活に戻れていない。二週間以上、ずっと気が張っていた。制作と旅と仕事と。張りつめながらも、本をめぐる幸福が、ぎっしり詰まった日々だった。

 昨日は二週間ぶりに卓球をした。靴底の摩擦がつよすぎて、転んで、お尻を打った。ダブルスで強打したあと、うしろに下がるときだった。たいしたことはなさそうだが、まだ、痛い。

 片山令子『惑星』を、開いて読んだ。この部屋は日当たりがいいので、背の黄色が、やや、褪せてしまった。そういえば、本たちは、もっと、色あざやかだった。今は、前より、くすんで見える。年をとったのだ、持ち主とおなじように。でも、くすんだ色も、やわらかい感じで、よいなと思う。
 「あたらしい雲」という詩を読んだ。

 いつもどこかで何かがおこり、胸にしみることがおこり、胸はその出来事のかたちに透けてしまう。
 いつもどこかで誰かに出逢い、誰かは胸にしみてしまい、胸はそのひとのかたちに透けてしまう。

 昨夜はちいさな別れがあった。おそらく相手のほうには、別れ、という意識もないくらいの、ささやかな接触だった。それでも、淋しい、と思い、それをつたえられた自分を思い出すとき、いつのまに、おとなになったのだろう、と不思議な気がした。そういうことを、すんなりいえる人間ではなかったのに。