2018年7月25日水曜日
拾い読み日記 51
「青年期、ジッドの著作を読むことはわたしにとってたいへん重要でした、そしてなによりもわたしが愛したのは彼の『日記』でした。それはその不連続な構造、その五〇年以上にわたる「パッチワーク」の面でたえずわたしを魅了し続けた本です。ジッドの『日記』では、すべてが起こります、主観性のあらゆる光彩の輝きが。読書、出会い、省察、そしてくだらないことさえも。わたしの心をとらえたのはこの面であり、それでわたしはたえず断章で書きたいと思うのです。」(ロラン・バルト『声のきめ』)
昨日、夫が買った本を、すこし読む。自分もいろいろ買ったけれど、人が買ったばかりの本を読むのは、たのしい。表紙の写真がいいなと思う。ロラン・バルトはロラン・バルトらしい顔をしている。夢みるように、何かをみている。
ニワトリや山鳩が鳴いている。雲が多くて陽射しはいつもよりきつくないけれど、湿気と暑さが、からだにこたえる。昨夜は雨音をひさしぶりに聴いた。
2018年7月24日火曜日
拾い読み日記 50
まわりいちめん雪とつらら、
嶮しい山の壁のつらなり、
その向うには夢みるように、ひろく白く
積雪のオーバーラント。
ゆっくりと靴の一歩一歩を巌に置き
雪の吹き払われた地面に置き
山嶺に向って登りつづける、
短いパイプを斜にくわえて。
たぶんあそこまで行けば世と隔絶して
氷と月との青い光の中に
甘美な平和があるだろう――僕にないその平和が。
そして棲んでいるだろう、まどろみと忘却とが。
ヘルマン・ヘッセ「高山の冬」の「1 登攀」。中学か高校の通知表の裏面に、イラストとともに載っていた。その通知表を実家で見つけたのは、何年前だったか。この詩のことは、うっすらと、おぼえていた気がする。どうして山の詩がこんなところに? と、成績のことであたまがいっぱいの学生のときの自分は、思っただろう。けれど、何かを受けとっていた。たぶん言葉以上に、リズムに惹かれた。
こんなふうに、うっすらとしかおぼえていないものに、影響を受けていることも、きっとあると思う。自分でも意識のおよばない、深いところで、ひそかに。どの先生かはわからないけれど、その先生のことが、なんというか、なつかしい。
本屋でヘッセの詩集を見つけるたびに、開いてみて、この詩をなんとなく探していたが、訳がちがうことだけはわかって、なかなか再会できなかった。通知表を捨てなければよかった、と思った。
ようやく夫の古本屋で、片山敏彦訳だったことを知った。『ヘッセ詩集』1962年、みすず書房刊。「先生」も、この本を手にしたのだろうか。わたしの生まれる10年前に出た本だ。「ヘッセの詩は、たしかに 〈憧れ〉 に名づけられたいろいろの名のようなものである. 深い根源的な憧れ, 痛切で, 無形で, 音楽的で, そして持続的な憧れ――」(片山敏彦)
今日は、昨日よりは、暑くないみたいだけれど、暑いことに変わりはない。何かひとつでいい、涼しい言葉を持ち歩きたい。
2018年7月23日月曜日
拾い読み日記 49
ヤンソンさんの生まれた街にいるよ、とメールに書いてあったけれど、「ヤンソンさん」がすぐには誰か、わからなかった。「ヤンソンさんの誘惑」というじゃがいも料理のことを思い出したり、ホルスト・ヤンセン?とちらっと思ったりもしたけれど、ヘルシンキなのだから、それはトーベ・ヤンソンに決まっていた。
ヘルシンキは、日陰はすずしく風が爽やからしくて、いいなと思う。はやく秋がきてほしい。
吉祥寺の啓文堂へ。外国文学の文庫がわりと充実していて、なんとなく目にとまったので『トーベ・ヤンソン短篇集』を買った。「往復書簡」を読んでせつなくなる。すこし苦しいくらいのせつなさ。「往復書簡」というタイトルだが、小説は日本に住む「タミコ」から「ヤンソンさん」への手紙のみでできている。タミコは書く。
「だれにも理解できて、だれもがこれこそ自分が思いえがいていたものだと感じる、そんな物語を書いてみたいのです。
どれぐらい年をとったら、書くことができるのでしょうか。
でも、あなたの助けなしには、とても書けそうにありません。
毎日が、待ちわびる日々です。
とても疲れている、そうあなたはいいました。
仕事をしてはいるが、まわりにはあまりにもたくさんの人がいると。
でも、わたしはあなたをなぐさめ、あなたの孤独をまもる人になりたい。」
2018年7月22日日曜日
拾い読み日記 48
川沿いの道を駅に向かって歩いていると、お隣の女性がちょうど帰ってくるところだった。わたしを見て目をきらきらさせながら、「ちょうど今、水中書店のことをかんがえていたの」という。夫が作った「三鷹マップ」をお友達が見せてくれた、とのこと。その似顔絵がすごくそっくり、といわれる。ありがとうございます、とこたえて別れ、電車に乗って、ひさしぶりに街へ。
東塔堂で「羽原粛郎の画道︱団扇と書画」をみた。みずみずしく、粋で、涼しく、かろやかな展示。羽原さんが話し出す前の、悪戯っ子みたいにきらっと一瞬きらめく瞳を思い出す。値段でも遊んでいるので、そういうところも素敵だなと感動して、作品をふたつ買った。お知らせのはがきに『本へ!』からの抜粋が載っている。
夏は
思いを寄せている人
友人たちと
海辺や
湖岸や
河川の
砂浜で
遠くの林の中で, 激しく, 鳴いている
蝉の声をかすかに, 幽かに, 微かに,
聴きながら
君の性格について
君の習慣について
明日について
人生について
話そう.
狩野岳朗「untitled」もみた。心の奥にあるものを探って、絵にするということは、身体を使った実験・冒険のようだと感じる。自他から吹いてくるさまざまな風のなかで、かたちのないものにかたちを与えること。絵を描いてみたくなる。言葉をすべて忘れたり、脱ぎすてたりして。岳朗さんは、詩に興味が出てきたそうで、これまで読んだことのないものを読んでみたい、という。そういう気持ちに触れられて、とてもよかった。澄んだ水ですすがれたよう。あとから夫に話すと、そういう気持ちにまさるものはない、という。ほんとうに、そう思う。
2018年7月21日土曜日
拾い読み日記 47
午前中、洗濯ものを干していると、お隣の女性が白い日傘をさして、目が合うと「暑くて死にそうですね」と笑顔でいいながら、さわやかに出かけていかれた。
『鄙の宿』はあと3分の1くらい。一度ざっくりと読んだヴァルザーの章を読んでいる。小さな紙片に小さな文字の「秘密通信」。〈内的亡命〉ということ。
昨日、夕方からは『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』を持って出かけた。駅前のカフェで読んでいて、ふと顔を上げると、まわりの人たちから、あまりにも遠く隔てられているような感覚におそわれた。詩を読むことで生まれる「空間」について、ぼんやりかんがえた。詩は秘密の空間を用意する。
そのあと、大量の食器が落ちる音が店中に響き渡った。ずいぶん長く続いた気がするが、いったいどれだけの皿が割れたのだろう。ほんとうに、途中で夢かと思うくらい、長かった。
いま赤黄男を思い出した。「蝶墜ちて大音響の結氷期」。涼しく激しい音だった。
『鄙の宿』はあと3分の1くらい。一度ざっくりと読んだヴァルザーの章を読んでいる。小さな紙片に小さな文字の「秘密通信」。〈内的亡命〉ということ。
昨日、夕方からは『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』を持って出かけた。駅前のカフェで読んでいて、ふと顔を上げると、まわりの人たちから、あまりにも遠く隔てられているような感覚におそわれた。詩を読むことで生まれる「空間」について、ぼんやりかんがえた。詩は秘密の空間を用意する。
そのあと、大量の食器が落ちる音が店中に響き渡った。ずいぶん長く続いた気がするが、いったいどれだけの皿が割れたのだろう。ほんとうに、途中で夢かと思うくらい、長かった。
いま赤黄男を思い出した。「蝶墜ちて大音響の結氷期」。涼しく激しい音だった。
2018年7月20日金曜日
拾い読み日記 46
昨日は、髪を切った。白髪染めも。そのあいだ、石垣りんさんの「花嫁」というエッセイを読んだ。銭湯で、突然知らない女性から、衿を剃ってください、といわれる話。カミソリを使ったことがないから、と断っても、重ねて頼まれる。そのあとに続く文章のみごとさと、描かれている女性のすがたに、胸があつくなる。
「ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。「明日、私はオヨメに行くんです」私は二度びっくりしてしまった。知らない人に衿を剃ってくれ、と頼むのが唐突なら、そんな大事を人に言うことにも驚かされた。でも少しも図々しさを感じさせないしおらしさが細身のからだに精一杯あふれていた。私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った。」(『ユーモアの鎖国』)
湯気のむこうに、ふたりの女性がいる。その輪郭はほのかに光っていて、なにかとても神聖で、したわしい感じがする。
6年前、この町に越してきてから、ずっと同じ美容院に通っていて、そのたび、なんでもない会話をする。6年前は、髪がやけに長かった。のびてゆく髪を持てあましながら、切れなかったのは、たぶん不安のせいだった。今は、ひと月半ごとに、短く切る。もう髪をのばすことは、ないだろう。
「ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。「明日、私はオヨメに行くんです」私は二度びっくりしてしまった。知らない人に衿を剃ってくれ、と頼むのが唐突なら、そんな大事を人に言うことにも驚かされた。でも少しも図々しさを感じさせないしおらしさが細身のからだに精一杯あふれていた。私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った。」(『ユーモアの鎖国』)
湯気のむこうに、ふたりの女性がいる。その輪郭はほのかに光っていて、なにかとても神聖で、したわしい感じがする。
6年前、この町に越してきてから、ずっと同じ美容院に通っていて、そのたび、なんでもない会話をする。6年前は、髪がやけに長かった。のびてゆく髪を持てあましながら、切れなかったのは、たぶん不安のせいだった。今は、ひと月半ごとに、短く切る。もう髪をのばすことは、ないだろう。
2018年7月19日木曜日
拾い読み日記 45
また、財布を忘れて出かけてしまった。駅前のドトールに入ったところで気がついて、引き返した。一瞬、絶望的な気持ちになる。母親の認知症の心配をしている場合では、なかった。
また夫にお金を借りにいって、借りたお金で、お茶を飲んだり、ビールを飲んだり、ごはんをたべたりした。残りのお金を気にしながらなので、すこし、きゅうくつさを感じた。財布を持つのはやめて、ポケットに直接お金を入れて持ち歩くことも考えたが、ポケットがない服のときは、どうすればいいのだろう。
しかし、さすがに、もう、忘れないだろうと思う。
カフェで、ゼーバルト『鄙の宿』を読み進めた。ゴットフリート・ケラーについての章を、もうすぐ読み終わる。「物を書く術(クンスト)とは、どうにかまともな人格を保っておくために、ともすれば優位に立ちたがる黒いぐしゃぐしゃの塊を抑え込むこころみなのだ」。
今日も、異常に暑い。夜も暑いけれど、今年は冷房を消さずに寝ているので、よく眠れている。だから、わりと元気で、いろいろ、作りたいもののことについて考えている。物を作る術とは。
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