ぐっすりねむって、真っ白なノートのようにまっさらな気持ちでめざめた朝だった。窓からの光が、なにもかもをはらっていった。
寝床で、水にうかぶ塵ほど不安定だったころに書いた言葉を読み返した。そのときにささえてくれたのは、本と、本をとおしてであった人たちで、10数年越しに、感謝の気持ちを念でおくった。それから、これまででもっともつらかった日に、願を掛けた「神さまのようなもの」に、願いをかなえてくれてありがとう、と胸のなかでつたえた。「わたしの神さまのようなもの」に、ふさわしいわたしであれたらいい。「わたしの神さまのようなもの」に、つかえることができたらいい。しかし、ただ、わたしがわたしでいることができたら、わたしがわたしのやりたいことをしていれば、きっと、「わたしの神さまのようなもの」は、よろこんでくれるのではないかと思う。
そういう精神状態のときに手にとりがちな、メイ・サートンの本をよんだ。
ぬいぐるみの動物たちでさえ、何かしらメッセージを伝えている。ひとつひとつのぬいぐるみには、ある人やある瞬間、愛する人との分かち合いなどの思い出がこもっている。今朝、これらのぬいぐるみが伝える無言のメッセージに耳を傾け、生きていてよかったとしみじみ感じた。そして三階に上がって小さな詩集を包装し、送り出すことのできる幸せを。(メイ・サートン『70歳の日記』)
ぬいぐるみの動物たちと、本棚にある本たちのメッセージを、ひとつひとつ、書き留めることができたらな、と夢想した。特別な紙に、特別なペンで、しずかに、窓のそとを眺めたりしながら。
