2026年8月17日月曜日

40年前の虫について


  夜おそく、へとへとになって家に帰りついて、ドアを開けてMにただいま、といったとき、ずいぶんひさしぶりに会った気がした。たった一泊二日の旅から帰ってきただけなのに。とても遠いところまでいってきたのだ、おそらく40年前までいって、帰ってきたのだろう。

 みんな、どんな55歳になったのかなあ、という興味もあって出掛けてきた。どうしてあの子がこんなふうになったのだろう、という好奇心から、やや、あぶない目にもあった。しかしその瞬間、その人のいきいきした部分にふれられて、それは、かならずしも、わるいことではなかった。いきいきしたものを、すっかりうしなったのかと思っていたから。

 なつかしい人と話していると、その人の今の顔のなかにむかしの面影をみることになり、そこからさまざまによみがえる記憶があって、あたまが、いっぱいになった。彼ら彼女らの「今」を知りたかったが、彼ら彼女らのなかにのこる過去の自分のことも、知りたかった。そのころの自分がどんな人間だったか、よくわからない。おそらく、中学生になっても、まだ、ものごころが、ついてなかった。

 自分は、まじめで、無口で、反応がちょっとへんな中学生らしかった。授業中、とつぜんパン!と手をはたいて虫をころしたよね、といわれた。もちろんそんなことは、まったくおぼえていない。それでも、その虫は、蠅だったのか、蚊だったのか、妙に、気になっている。ひょっとしたら、そのような奇矯な行動をとることで、自己を、表現しようとしていたのか?

 帰りの新幹線で「linger」を聞いた。Royel Otisバージョンのほうが、乾いている感じですきだ。Do you have to let it linger? 40年前のことと一昨日のことを、すこしのあいだひきずったら、「今」にもどって「これから」に目をむけたい。今は、まだ、ひきずっていてもいい。