2020年5月26日火曜日

拾い読み日記 186


 昨日の夕暮れどき、空に浮かぶ二日月を見た。すぐに消える小さな切り傷みたいに、儚くて細い月だった。テラスにいる他の人たちは、誰も気づいていなかった。もっとよく見たくて、じいっと目を凝らしているとき、月がほんとうは円いことも、隠れている部分のことも、忘れている。

 『空を見てよかった』。心をみだすすべてのことをいったんどこかへしまいこんで、内藤礼の本を手にしてみると、ここでは断章のひとつひとつが空間にしつらえられた作品であり、「もの」であるようなので、いつものように、息をひそめてこころをしずめて、ものの気配をみださないように、そこにいて、みつめたり、ちかづいたり、はなれたり、したいようにしていれば、あるとき、羽のようにかろやかにおりてくるものがある。それからさらに、何かがもたらされ、空間か自分が変質するような、そうした予感やおそれは、余白の白が目にはいるたびに、たかまり、そのしずかなひみつのたかまりを、手のなかにある白い四角いかたちと指がふれる紙のやわらかさが、うけとめる。目が手でからだと、あるきまわり、いつのまにか、どこかにいる。