2019年5月2日木曜日

拾い読み日記 116

 
 レイアウトのため、スキャンしたり、画像を調整したり、長くパソコンに向かい合っているので疲れる。午後から晴れてきた。ひさしぶりの青空。ただゆっくり歩いて、躑躅のピンクや山吹の黄色を目に入れるだけで、5月の気分が高まる。半袖で歩けるうれしさ。

 Twitterって、ときどき、授業中にまわってくる複雑に折りたたまれた手紙みたいだな、と思う。すぐ読んで、とこっそり手渡される手紙。小さな文字で大切なことが書いてあったりする。気付かない人もいる。受け取った人は秘密を共有したということ。誰でも読めるからといって、誰にでも伝わるわけではない。

 制作に入ったので、ゆっくり本が読めなくなった。まあ、制作中でなくても、読めないのだけれど。連休気分を味わいたいので、昼食のときに小瓶の黒ビールをたのんだ。のみながら、川上弘美「おめでとう」を読んだ。すぐに読めるから、何度も読んでいるのに、いつも、新鮮に感じる。「西暦三千年一月一日のわたしたちへ」。

 少し寒いです。今日は新しい年なんだとあなたが言いました。新しい年は、ときどきくる。寒くなると、くる。
 おめでとう、とあなたは言いました。おめでとう。まねして言いました。それからまた少しぎゅっとしました。
 忘れないでいよう、とあなたが言いました。何を、と聞きました。今のことを。今までのことを。これからのことを。あなたは言いました。忘れないのはむずかしいけれど、忘れないようにしようとわたしも思いました。

 珈琲屋で新聞を開いたら、祝賀の感じがすごかった。「おめでとう」の世界は、荒涼としていて、淋しい。そちらのほうに、愛着を感じる。
 平成は、最後まで、何年なのかよくわからなかった。