2019年5月22日水曜日
拾い読み日記 122
お昼をたべに外へ出て、たべたあと、図書館に本を返しにいくつもりだったのに、眠気におそわれ、帰ってねた。このところ、早朝に目が覚めたりしていて、眠りがうまくいっていなかった。昼寝をするひまもなかった。これからは、眠くなったら、時間のゆるすかぎり、どんどんねていきたい。
今日は夕方、水中書店で15分くらいお店番。そのあと本を買った。ほしいと思っていた白い詩集(ノンブルが朱色)はなぜか買えなくて、朝吹亮二・松浦寿輝『記号論』(思潮社)を買った。本文の紙と組みにひかれた。読んでいると、金属活字が組まれた様子、インテルやクワタの質感までが、ぼうっと脳裏をよぎる。まるで亡霊のように、あらわれたり消えたりする。
別冊の小冊子は、著者たちによる「NOTE」。そこでドゥルーズ=ガタリ『カフカ』が引用されていて、どきっとした。それはさっき本棚からえらんで鞄に入れてきた本だった。こんなことは、もちろんただの偶然なのだが、まるで本に読まれているようで、なんともいえない気持ちになる。ただの偶然、といいながら、本のおそろしさを、そこはかとなく、感じている。
語そのものは動物「のような」ものではない。そうではなくて、みずからよじのぼり、吠え、うじゃうじゃとうごめく。そもそもが言語的な犬、昆虫、ネズミだからだ。
昨夜は、書物論講座でいっしょだったOくんとTくんと、西荻窪でのんだ。Tくんが、「僕は書きます。あなたは読んでくれますね」という足穂の言葉を、Aさんが『ぽかん』の「ぼくの百」で引用していた、と教えてくれた。そういえば、たしかにそこで読んだのだった。
新年会では3軒はしごしてのみすぎて、次の日もぐあいが悪かったが、今回は2軒でやめておいた。おとなになったのか。次回は読書会をやろう、という話になる。