2019年2月26日火曜日
拾い読み日記 84
曇りの火曜日。風が少し水をふくんでいるよう。手紙のことをずっと考えている。つぎからつぎに疑問がわいてくる。『メイキング』(ティム・インゴルド)よりメモ。
文通の軌跡は感情の軌跡であり、感覚の軌跡でもある。それは、手紙の文面に選ばれた言葉(だけ)にではなく、書くときの手の身ぶりと、それがページに残した痕に現われる。手紙を読むことは、単にその書き手について読むことを意味しない。むしろ、その相手とともに読むことである。あたかも書き手がページから語りかけてくるように、読み手であるあなたはその場で耳を澄ませるのだ。(下線部は傍点)
自分に宛てられたものではない手紙を読むときは、書き手とともに、さらに、最初の読み手とともに、読むことになる。感覚と感情と関係の軌跡を読んでいる。「それに、手紙は「声」なのです」(アントニオ・タブッキ『他人(ひと)まかせの自伝』)。だから、いつのまにか、まきこまれてしまうのだろう。距離をたもちながら読むことはむずかしい。手紙はそうして、みずからが属していた時間を超えていく。