2019年2月25日月曜日

拾い読み日記 83


あたたかな月曜日。古着屋で薄手のコートを買った。aseedoncloud。くもにのったたね。古着でしか買ったことがないが、名前も含めて、なんだかいいなと思う。着ると気持ちが軽くなる。
 帰りに知人とばったり会った。サングラスをしているのでめんくらった。

 夜、ぼんやり考えごとをしながら製本していた。どうしてだろう、と考えていた。どうしてそんなに彼女は母親に手紙を書いたのだろうかと。ただ、心配だったから、というわけではないだろう。
 ロラン・バルトの言葉がよぎった。その言葉が載っている『明るい部屋』は家になかったのだが、『ロラン・バルト 喪の日記』の「まえがき」(石川美子)に引用されていた。
 「わたしが生涯を母とともに暮らしたから悲しみもいっそう大きいのだと、人はかならず思いたがる。だがわたしの悲しみは、母があのようなひとであったことから来ているのだ。あのようなひとであったからこそ、わたしは母とともに暮らしたのだ」。
 きっとふたりとも、「あのようなひと」であったのだろう。たぐいまれなことだと思う。ただ、母娘だから、ということでは説明がつかない。
 『喪の日記』を読んでいると、母をなくしたバルトがあまりにもつらそうで、こちらもつらくなり、気づくと歯をかみしめていた。
 
 一人暮らしの母親がふと心配になって電話をかけるが、まったく電話に出ない。あるいは電源を入れていない。このあいだ、長い呼び出し音のあとにようやく出た、と思ったら、無言で切られた。怒っているらしいのだが、原因がさっぱりわからない。困惑したが、しかし、ずっと前から、こういう人だったな、と思った。