予期せぬできごとが起こり、あたまがいっぱいで、調べもの(検索)ばかりして、そうとう、疲れた。昨日はさらに、パソコンが突然反応しなくなり、パニックになった。電源のスイッチを押しても、うんともすんともいわない。2時間後くらいにようやく電源がついて、ほっとしたけれど、これは、もう、ダメなのだろうと思った。
新しいパソコンは、設定につまずいて、買ってから二ヶ月くらいほうってある。設定とか、移行とか、取り組む余裕がまるでなかった。昨日は、夫がいっしょにやってみよう、と、あちこちに電話をかけてくれ、ようやくネットがつながるようになった。今は、新しいMacでこれを書いている。
それにしても、パスワードがわからなかったり、それを設定しなおすためのパスワードがわからなかったり、設定にまつわるいろいろなことが、ほんとうに、ややこしくて、めんどうだ。
毎日何かを失くすること。ドアの鍵を失くしたり、
一時間をむだ遣いしたときの狼狽を、受け入れること。
ものを失くする術を覚えるのは、難かしくない。
それからもっとひどく、もっと速く失くする稽古をしよう。
場所や、名前や、どこか旅行に行くつもりだった
ところなど。どれも大事に至ることはない。
(エリザベス・ビショップ「ひとつの術」)
パソコンが動かなくなり、データもメールも写真もすべてなくしたのか、と思ったとき、脳裏をよぎった詩。
ビショップの詩は、最後に、あなたをなくすことさえ、むずかしいことではない、と終わる。それがどんなに災難にみえても。Even losing you (the joking voice, a gesture I love), 括弧の中にしまわれた恋の記憶に、せつなくなる。