2018年2月16日金曜日

拾い読み日記 13


 夜に日記を書くと暗い感じになるので、昼間書いている。2月16日金曜日。このところ、一週間があっという間に過ぎていく気がする。一生も、こんなふうにすぐに過ぎるのではないかと思う。

 昨日拾い読みしていたのは『現代詩手帖』1974年10月臨時増刊号の瀧口修造特集。磯崎新、大岡信、清水徹、入沢康夫の座談会を興味ぶかく読んだ。いくつかメモ。

・瀧口さんがビュトールとすごく似ている。詩と絵画、言葉と形象の結びつきを探る方向において、「遊びめいた手造りの仕事」を好む点で。(清水)

・ムナーリのグループによる動く彫刻の展覧会、人気のない、さびれた雰囲気の会場。ぽつんと坐っている瀧口夫妻。そこで話し込んだのが最初の出会い。「その偶然の出会いでわたしは決定的に目がひらかれたように感じています。」「瀧口さんの存在は、存在自体が触媒のようなもので、最小限の身振りで、たいへんな量の自由を獲得する不思議な作用がある気がします」(磯崎)

・「いわば言語化されている言語ではなくて、言語化される前の言語ということをたえず考えている。」(大岡) 

・部屋について。「瀧口さん自身が不思議なネガになって、たくさんの瀧口さんのために作られた物体が、いわばポジとして集まっている」(大岡)

・「何か知れない偉大な遊びの破片」、ヴァレリーがダヴィンチについて言った言葉が当てはまる。(清水)

 今日は旧正月、春節。昨日よりは気温が低いが、陽射しはあたたかい。家にいて、来月の展示のための準備をする予定。
 あとでまた俳句を読みたい。短いこと、言葉が少ないことに自由を感じているのかもしれない。余裕がなくても、すうっと隙間に入り込める(入り込まれる)感じ。夫から借りた『リボン』(上田信治)は、心の風通しをよくしてくれる。外で、日のひかりの中で、ゆっくりと読みたいような句がたくさんあった。
  
  春の蟹わあつと笑ふ女のひと
 
  春を走る子らに取り囲まれ抜かされ
 
  小型犬抱いてわかもの花散る日  

  リボン美しあふれるやうにほどけゆく