2026年7月17日金曜日

むげん


 数年前に知って、ふしぎな曲だ、と感じ、もう何十回も聞いている「むげん」(崎山蒼志 with 諭吉佳作/men)の歌詞を、眠る前にぼんやり思い出していたら、突然、これは胎児の歌ではないか、と思った。「くらい せまい あたたかい 顔を洗う水 踊る 踊る 蹴る きづいて ほしい」。お腹のなかにいるいきものが感じていることは、何だろうか。じぶんは何を感じていただろうか。どうして忘れてしまったのだろうか。いや、ほんとうに忘れてしまったのだろうか。

 昨日、プールで泳いでいるときに、水底いっぱいにひろがる水の光のゆらぎを見ていたら、とつぜん、意識はつながっている、と感じた。つながっている、もしくは、溶けあっている。意識、しかし、誰の? 誰かと誰かの? 人間と世界の? いまとむかしの? よくわからないままに、こわばっていたものが、やわらかくほどけていくようだった。意識のなかに、他者がすでに存在すること。そしてたましいのなかにも他者が、いや、たましいそのものが他者であること。

 私が魂を持つのではなく、私は魂の保管所なのである。(西郷信綱『古代人と夢』(下線部は傍点

 ステージで、ここにいないひとの声と歌う崎山蒼志の孤独は、どこか、この世にとりのこされた人間の、癒やしようのない淋しさを思わせて、胸がくるしくなる。