2021年10月4日月曜日

拾い読み日記 261


 朝はやく目が覚めて、二度寝しようと寝床のなかにいたら、道行く人のひとりごとが聞こえてきた。「朝だ……朝だよ……なんで朝になっちまうんだよ……」。よっぱらいだろうか。なんだか芝居くさい言葉だった。この通りでは、ひとはよく、ひとりごとをいったり、歌ったりする。こどもたちは今日も、怪物でも出たかのように、ワーとかギャーとかさわいで、どたどた走っていた。

 今年二度目の金木犀の匂いがする。柿の実が色づくのもはやい。メジロやムクドリがたべにくる。鳩は柿をたべない。のんびりしているので、鳩の姿を見ると、こころがなごむ。
 
 やらなくてはいけないことがいろいろあって、でも追いつめられているほどではない。わりと、たのしい。たのしい気がする。

 金井景子『真夜中の彼女たち』を、もうすぐ読み終わる。「書く女の近代」という副題なのだが、最初の章は、「みたけれども書かなかった女」正岡律の話からはじまる。この章を読んで強い印象を受けたものの、そのあとを読み進めるのに、10年以上もの月日を要した。
 この本を読み終えたら、樋口一葉、与謝野晶子、林芙美子ら、書いた女たちの言葉を、これまでとちがった切実さで読むことになるのではないか。そう思いながら、読んでいる。
 本を読むのには、時間が必要だ。読む時間はもちろん、読まない時間も、必要だった。