2021年9月23日木曜日

拾い読み日記 260


 いろいろとおちついてほっとしたせいか、からだの痛みが気になってきた。気が張っているうちは気にならないが、ゆるんでくると、つらくなる。 先週は印刷でいそがしかった。活版2件、リソ(立ち会い)1件。印刷は、たいへんで、おもしろい。
今回も、思い知った。「印刷所」には、たぶん、魔物がいるのだ。

 茅場町に紙を買いに行って、せっかくだから、永代橋まで足をのばした。橋から川をながめながら、会ったことのない人のことなど、なつかしく思い出す。スカイツリーが見えた。川がながれるように、時はながれていく。いつのまにか隣にいた女性が、ここ、ドラマのロケで使われたんです、と話しかけてきた。どぎまぎしたが、相手も同じように、どぎまぎしている様子だった。そんなに緊張するなら、なぜ、話しかけてきたりするのだろう。疑問に思いながらも、なんていうドラマですか? と口がかってにうごいていた。ゲックの、フクヤママサハルが出てた、といって、しばらくして、その女性は、背中を向けて、ゆっくり遠ざかっていった。

 沢木耕太郎『凍』を読んだ。あまりにも苛酷な山行で、凍傷で何本も指をうしなうことになるのに、読後感はさわやかで、山に登ることのよろこびが強くつたわってくる本だった。山に登る、すなわち、挑むことのすばらしさ。自分にとって、自分の力を引き出してくれるものの存在は何か、あらためてかんがえさせられたりした。スピノザ的には、そうしたものに自分の力を最大限に発揮することが、「自由」な生き方、といえるだろうか。『凍』の夫婦にあこがれるのは、ものすごく、自由だからだ。すきなことをして、いきていこう、と思う。人の役にたっても、たたなくても。