ホン・サンスの『逃げた女』をみた。
家を出た彼女は、「先輩」に会いにいく。そこで、話したり、食べたり、飲んだりして、たのしい時間をすごす。どこか不穏な出来事も起こる。彼女はみる。のぞきこむ。かいまみる。窓をあけて外をみる。それから、彼女は歩く。歩いている彼女は、なんとなくたよりなくて、どこかに向かっていても、あてもなくさまよい歩いている人みたいだった。
映画館を出てまた歩き出した彼女は、手の中の小さな画面をのぞきこむ。それからふたたび、逃げ込むように、スクリーンの前に戻ってくる。海。エンドロール。
彼女とともに、映画館にとりのこされたのだ、と思った。
それにしても、映画をみた感じがしない。なんなのだろう。よくわからない。
不安定な彼女と、不安定な自分が、たまたま会って、時間をすごした。おもしろかった。ときどき、退屈だった。まるで、ほんとうに人と過ごしているときみたいに。昂揚と、物足りなさと、なまあたたかい感じが残った。人と会うのはつかれる、言わなくてもいいことまで言ってしまうから。たしかそんなことを、彼女は言った。
ふらふらした彼女は、いくつかの再会によって、何かをみつけたのだろうか。スクリーンをみつめる表情は、とても微妙で、複雑で、それだから、忘れがたい。
帰りの電車で、『ヴァレリー文学論』を、すこしだけ読んだ。