2021年4月24日土曜日

拾い読み日記 236

 
 本の資材見本を購入するため、ある町へ出かけていった。そこは、むかし乗り換えなどで利用していた駅なので、なつかしい気持ちもあって、用事が済んだあと、しばらくぶらぶらした。駅前の喫茶店も、無口な女性がやっていたお好み焼きバーも、見つからなかった。そこはなつかしい、しらない町だった。
 ときどき立ち寄っていた古本屋に、寄ってみた。入ってみると、雑然として、すべての本が、うすよごれて見える。ふだん水中書店の棚を見慣れているせいか、古本屋というのは、手をかけないとこうなるのか、と思い知った。まるで本の墓場のようで、どうにもさみしい気持ちになった。
 むかしはなかった白っぽいカフェに入ってみた。注文の際、ケーキはどのくらいの大きさですか? とたずねると、白衣を着た女性が、大きくも小さくもない大きさです、と応えた。アイスカフェオレはうすかったが、ロールケーキはおいしかった。

 帰りに本屋にいきたくなって、池袋のジュンク堂へ。本がきれいで棚がいきいきしていて、それだけで、うれしい。池袋は、大学生や高校生が多い。棚の前で男女の二人組がうだうだしている。カップルではないので、それぞれ好きかってに本を見たりはしない。棚の前でうわさ話をしていたりするので、じゃまだった。年をとって、こころがせまくなっているのかもしれない。
 国文学の棚や詩歌の棚で、装幀のバランスや箔押しの感じを見たりする。自分が装幀した本も、表紙が見えるように並べてあって、それも確認する。家で見る感じと本屋で見る感じは、ちょっとちがう。
 ずいぶんなやんだけれど、詩歌の棚から、岬多可子『静かに、毀れている庭』をえらんで買った。

 夕方の公園では、みんながピクニックしたり、外でのんだりしていて、祝祭感があった。
 
 夜は夫と晩ごはん。「休業要請」と「休業の協力依頼」をめぐって、あれこれ話した。いったい、なんなのだろう。結局、のみすぎたようだ。