2020年4月11日土曜日

拾い読み日記 173


 珈琲豆屋と薬局と銀行に用があり、駅の近くまで出かけた。銀杏の木が萌えだしていて、小さな葉をたくさんつけている。くすくす笑っている子どもみたいにかわいらしいが、幹に触れると、ごつごつしている。一本の木のなかに、幼児と老人が同居しているようで、不思議だな、と思う。
 町にはふつうに人がいる。酒屋が混んでいた。
 帰り道、葉ばかりになった桜の木から、白い花びらが一枚落ちてきて、足を止めた。今もあたまの中に、その桜が舞っている。

 『三四郎』を半分ほど読んだ。

三四郎は勉強家というより寧(むし)ろ彽徊家(ていかいか)なので、割合書物を読まない。その代りある掬(きく)すべき情景に逢うと、何遍もこれを頭の中で新(あらた)にして喜んでいる。その方が命に奥行がある様な気がする。

 命に奥行きがある、とはどういうことだろう。わかるようなわからないような。しかし、三四郎に奇妙な親しさを感じた。たぶん、それで、離れづらくて、読み続けてしまう。