2019年4月27日土曜日
拾い読み日記 112
午前中は晴れ。町中をいろいろなカップルや家族がゆっくり歩いていて、のんびりして、お祭りみたいな感じがした。今日から連休。活字と紙の手配が済んだので、ほっとしている。午後からまた雨。吉祥寺に出かけようと思っていたが、疲れているので、やめにする。
頭の中の言葉が多すぎて、本も読めない。日記なら書ける。頭の中の言葉を外に出すことには夢中になる。「「夢中」というのは、たいした「痛み止め」なんだなと思う。」(草森紳一)
ポリティカル・コレクトネスについて、今まであまり考えてこなかった。今回のことでは、政治的正しさの名のもとにおこなわれる暴力をみた気がした。
けれど今は、彼女のことが気になっている。これまで、いろいろとひどいことを、年長の男性たちに、言われたのだろうと思う。そういう女性たちを、見てきたのだろうとも思う。それらの言葉が、傷になっていたのかもしれない。
会社には5年しかいなかったけれど、ハラスメントも差別も、なかった(気がつかなかった)と思う。むしろ、同時期に入社した男性のほうに、上司の当たりが強かった気がした。彼の方が、自分よりずっと真面目で、勤勉で、意欲もあったと思う。まっすぐすぎて、見ていて、ときどき不安になった。その人は、ある日突然、会社に来なくなった。
半年ほどたって、ある夜、電話してみたら、つながった。元気そうだったので、安心した。「ヤマモトさん、ふつうの会社はいいよ」と言っていたのをおぼえている。今思い出しても、彼に対しては、うしろめたい思いがある。自分だってそうとうへまをしていたのに。彼は今も、「ふつうの会社」で働いているのだろうか。
おそらく、私には書物を読みかつ所有することに対する、劣等感が根深くあるにちがいない。本を読まない人間にたいして、すなわち本を読まないでも生きていられる人間に対して、はかり知れぬひけめをいつも感じる。(草森紳一「本棚は羞恥する」)
自分は、本を読まない人にも、たくさん読む人にも、ひけめを感じる。本のまわりでうろうろしているだけで、年を重ねてきた。
二日前、「Kさんとわたし」というテーマで、人前で話す夢をみた。裁判所の前で思い切って話しかけたことから語り起こして、最後、無事でいてくれたらうれしいです、と言い終えて、目が覚めた。朝、その話をすると、とても読解しやすい夢だね、と夫が笑った。