昨日いっしょにのんだ3人、全員が「文キャン」(早稲田の文学部キャンパス)出身ということで、その二人に、自分の大学時代の、あるおもいでを話した。
Fくんというサークルで一学下だった、痩せていて、無口で、ふしぎな雰囲気を持つ男子とキャンパスでばったり会って、本の話になった。彼は、ひとりごとみたいな口調で、沼正三の『家畜人ヤプー』の話をしていて、そのあたりのことは何も知らなかった自分は、静かに、圧倒されていた。
自分は、大学二年になっても、文学のことも、詩のことも、映画のことも、ほとんど知らなかった。そういう話をする友人が、まわりにまったくいなかった。
あのとき、なぜだか彼に、「東京」を感じた。彼は、すぐにサークルからいなくなったけれど、ときどき、ふとしたことで、その記憶はよみがえった。あの、こわいような、逃げ出したいような、なんともいえない気持ちで歩いた文学部のキャンパスが、なつかしい。あの気持ちは、もしかしたら、あこがれのようなものだったかもしれない、と、いま気づいた。
その彼が、昨日twitterで「本物のSM女王様に縛られる可能性の高いエキストラ」を募集していた。それがまわってきた。映画の仕事は、順調なようだった。思えば、あのキャンパスでの会話から、28年が経っている。
twitterは、キャンパスでばったり会うみたいに、人にばったり会う。自分もまた、いつかどこかで会った誰かに、見かけられたりしているだろうか?
ほぼ毎日日記を書くのは過剰だろうと思うのだが、そのことは、恐れなくてもいいとも思う。『ヒロインズ』は次の冊子を作り始める前に読んでおきたいと思い、4分の1ほど読んだ。
彼は職場の図書館に行く。本を読む。本に囲まれて生活する。古いページのなかに書かれた言葉、言葉、言葉のなかで生きている。私は書くことで壊れていく。
わたしは、「彼」であり、「私」でもあるように感じて、感情が大きく揺さぶられ、あまり思い出したくないことまで思い出すのだが、ページをめくらずにはいられない。
展示の準備と仕事で、くたくただ。Adrianne Lenkerをくりかえしきいている。春なのに、寒すぎる一日だった。