堀江敏幸さんの『なずな』(集英社)を読んでいたら、今から約十年前、ほんのわずかだったけれど、この世にやって来てまもない人とともに過ごした時間のことを、とても生々しく思い出し、気づけばなずなちゃんが描かれたところばかりを目で追って、くりかえしくりかえし読んでしまいます。頭のほうから伝わる「もわん」とした熱、ミルクをどんどんどんどん飲む勢い、耳元のゲップ、甘い汗の匂い、不思議な音楽のような声、愛嬌(あるいは迫力)たっぷりの放屁音。ちなみに、自分の子のことではなく、甥っ子のことです。
日一日と変わりゆく愛する者、その一瞬の生をあますことなくとらえようとした言葉は熱と粘り気を帯びていて、読むわたしの身体の中に入りこんでぺったりくっつき、内側からつよい力で五感を揺さぶります。いつのまにか自分も、なずなちゃんと菱山さんをはらはらしながら見守る、親戚でもないのに親戚みたいな周囲の人たちの一員になって、二人の別れが近づくあたりでは、せつなすぎて胸が痛くなりました。菱山さんの愛情が、どんなに深く濃やかでも、けして度を越さない、節度をなくさないものだから、よりいっそう。
思い出したのは、石垣りんさんの『詩の中の風景』(婦人之友社)で知った山本沖子さんの詩です。
紺色の制服を着て、カバンをさげ、中学校へ行こうとする娘に、私はかたりかける。
いってらっしゃい、気をつけてね。
赤ちゃんだったあなたを抱いて、ママは待っていますよ。
山本沖子「朝のいのり」より
「赤ちゃんだったあなた」には、どんなに会いたくても会えないけれども、『なずな』を開けば、いつでもあの時間に戻って、あの瞳に、あの指に、あの声に会える。絶え間なく流れて、過ぎ去って行くものの四隅をいつまでも留めておく、やさしい重しのような物語です。実際、この本はなかなかに分厚く重いので、とても片手では持ちきれません。
「あ、お、あ」「はー、うー」「へぷ」という、多彩で表情ゆたかなななずなちゃんの声をそのまま線にしたかのような装画は、堀江さんの娘さんが子どものころに描いたものだそうです(『クロワッサン』情報)。
「なずな」というカバーのタイトル文字は、書体デザイナー今田欣一さんが設計した「くれたけ」という文字。すっきりしているけれど、ほどよい丸みがなんとも愛らしい文字です。とくに「な」の、くねんとしたあたりが、赤ん坊の輪郭、そのしなやかな曲線を彷彿させます。カバーに使われた紙の名前は「マーメイド」。やわらかい凹凸が指に心地よく、赤ちゃんのほっぺたをすりすりするみたいに、いつまでも撫でまわしていたいような手ざわりです。
追伸 というわけで今田欣一さんの講演があります! そして三浦しをんさんの『ふむふむ』(新潮社)に大石さん登場。
さらには「新宿わが街」。(くわしくはすべてこちらに。もりだくさんです)