前に書いた自分の文章というのは、熱を入れてひと息に書いたものほど読みかえしたくはないもので、とりわけこのブログを始めるときに書いた「はじめに」の文章は、タイムマシンに乗って飛び蹴りしにいきたいくらいいやだなあと思います。とくに「めぐりあえたことば」のあたりが、我ながらきもちわるい。でも、書きかえたり削除したりすることは、なんだかひきょうな感じがするのでしません。
頭の中が言葉や言葉じゃないもやもやしたものでいっぱいになりそれに飲みこまれそうになったら、取り出して見てみないではいられません。弱さのせいでも、好奇心のせいでもあるでしょう。でも、書いているうちに頭の中にあったことはどうでもよくなり、ただ言葉を繋げたり切ったり足したり引いたり思いついたり入れ替えたり眺めたり聴いたり、その行為じたいを我を忘れるほどたのしんでしまって、書き終わってからも書いた言葉が頭の中でガヤガヤ騒ぎ出し、日常生活を浸食しそうになったりする。これでは書くことでバランスを保っているのか崩しているのか、まったくわかりませんが、でも、こうして形にすることで確実に明らかになることはあるし、おそらく少しは気が晴れているのでしょう。書かないでいられたら、それはスマートなことですが、もうスマートじゃなくてもいい、と開きなおることにしました。ということで、ここに書いていることは、ただ言葉とべたべた戯れているうちにできたもの、どれもほんとうのような、うそのようなものです。
ものごころついたころから「なにを考えているのかよくわからない」と周りからいわれ、人から話しかけられると後ずさりしてしまうのが癖だった(いまは逆に近づきすぎて後ずさりされたり)自分にとって、読むこと書くこと本を作ることは、人と世界に近づいて関係を結んでいく、とてもたいせつな手段のように感じています。それはまさに旅の道づれのようなもの。そんな旅の終わりには、本と言葉になぜここまで夢中になってしまったのか、その秘密がすこしはわかっているでしょうか。わからなくてもいいような気もするけれども。
ヒロイヨミ社もananas pressも本の島も、次の活動に向けて動きはじめています。たぶん秋から、いろいろなことが形になっていくはずです。楽しみにしていてくださったら、うれしく思います。
追伸 ふと、大学卒業時にもらった寄せ書きの「変」と「独特」という字を数えてみる