2019年6月1日土曜日

拾い読み日記 127


 今朝も5時40分に目が覚めてしまったが、二度寝して、9時ごろ起きた。目にとまった本を読んだりして、ゆっくり過ごす。
 片付けようと思いながらも、なかなか手がつけられない。いろいろなものが入ったかばんやふくろが部屋の隅にあって、紙の束があちこちに積んである。長い旅からようやく家に帰ってきたよう。実際、そうなのかもしれない。

 読んだのは、パスカル・キニャールとイルマ・ラクーザ。

 わたしは眼をあげて、ハンガリー語の、スロヴァキア語の、リトアニア語の看板を読む、車掌も次々に言葉を替えてゆく。たっぷり眺め、たっぷり聞いた後は、眠りに身をゆだねる。眠りは確実に時空を抜けてわたしを運んでゆく、温もりをもった梱となったわたしは、手足を広げ大きく伸びをする。カウナスで、コシツェで、ペーチで、笛の音が鋭く響くと、わたしは眠たい現在へ発射される。
 わたしは何を探しているのか?   
 
 イルマ・ラクーザ『もっと、海を 想起のパサージュ』(鳥影社)より。このところ拾い読みしかできなかったが、この本は、読み進められそうだと思う。
 
 午後、疲れてすこし眠った。夢のなかで、叫び声をあげた気がするのだが、その前後が思い出せない。家に突然、知人の母親だという女性が上がりこんできて、洗面所を使わせてほしい、と頼まれたことはおぼえているのだが。

 夕方の空は雲がきれいで、見とれる。道行くひとをベランダから眺めていると、おだやかな気持ちになる。しばらくは、こうやって暮らそう、と思った。