2019年3月13日水曜日

拾い読み日記 94



 ある時、何かの拍子に「あなたが仕事をするのに、一ばんたいせつなのは何か」と、聞かれたことがあった。その時、私は、べつにふかくも考えずに、「静かな場所」と、こたえた。(石井桃子「静かな場所」) 

 よい天気なのに、なんとなく、朝から、もやもやしたり、気が散ったりする。今日の印刷、うまくできるだろうか。

 今朝寝床のなかでとつぜん思い出したが、もう何年も前に、上野公園でラジオの街頭インタビューを受けたことがある。美術館でのマナーについて思うところがあったら聞かせてください、といわれた。そのとき、絵の前で立ち止まっておしゃべりしたりするのをやめてほしい、といった。絵の話ならまだいいのだが、ぜんぜん関係のない話をしている人もけっこういて、気になっていた。

 相手が聞いているかどうかとか、まわりがどうとか、まったく気にならずに、自分の話をしゃべり続けられる人がいる。自分もときどきそうなりそうで、心配だ。だから日記を書いているのかもしれない。

 あのとき、取材の人に頼まれて、「たまちゃーん」と名前を呼んだ。あれは、もしかして、「たまむすび」という番組だったのだろうか。今となってはわからないけれど。(追記 どうやら、「たまむすび」ではなく「たまなび」らしい)

 テレビもないし、ラジオもあまり聞かなくなった。「静かな場所」をみだすものは、今は、ネットの情報やSNSの声で、距離のとりかたが、まだよくわからない。twitterも断章の迷宮のようなものなので、(まだ)飽きない。ときどき、疲れるだけで。

不安は、私が知りもせず知るすべもない多くの人々の生活と、アンテナかなにかでつながっているという自分の生活の感覚を失ったときに起こるのだ。(メイ・サートン『独り居の日記』)