2023年10月24日火曜日
2023年10月23日月曜日
2023年10月22日日曜日
2023年10月9日月曜日
わたしの本を自らの手でつくる
11月2日(木)、本屋・生活綴方で、真名井大介さん、山本浩貴さんと「わたしの本を自らの手でつくる」というテーマで話をします。
ヒロイヨミ社として本を作ることについて、作った本のことについて、あれこれ、話せたらと思います。きっとうまくは話せませんが、思っていることが、すこしでも伝われば、いいです。
おふたかたのお話をうかがのも、とてもたのしみです。詳細は、こちらをごらんください。
洋書まつりのポスターとチラシ、できました。どこかで見つけてください。
洋書まつりのたのしさをあらわしたくて、ドイツの木の玩具でひとしきりあそんで、くみあわせて、絵にしました。「本はとにかく六面体だ」(恩地孝四郎)
今年のまつりは10月20日(金)、21日(土)です。東京古書会館地下ホールにて。ぜひ。
ばたばたと過ごしている10月ですが、仕事のあとの卓球(ときどき水泳、もしくは筋トレ)がたのしいです。からだを動かすことを、長いあいだ、忘れていたのだなあ……と思いました。
ではまた。「エア メイル」展のことも、近々おしらせしたいです。
2023年9月20日水曜日
エア メイル
まだすこし先ですが、11月23日(いいふみの日)から12月3日まで、都立大のギャラリーQuantum Gallery & Studioで、ananas pressの「エア メイル」展を開催します。
「エア メイル」展は、2017年に香港ブックアートフェスティバルに参加する際につくった『Letters from Reiko 1975–1984』を、日本の人にもぜひ見てもらいたい、と思って、名古屋のコロンブックスで開催したのがはじまりです。
「エア メイル」展は、2017年に香港ブックアートフェスティバルに参加する際につくった『Letters from Reiko 1975–1984』を、日本の人にもぜひ見てもらいたい、と思って、名古屋のコロンブックスで開催したのがはじまりです。
たしか、香港の宿で、日本でも展示したいねえ、どこで展示するのがいいかなあ、と相方のaとだらだら話し合っていて、そうだ、コロンブックス! と思い立ち、湯浅さんに持ちかけて、展示させていただいたのでした。そのあと、コロンでの展示を見てくださったCaloの石川さんからのお声がけで、大阪でも開催しました。東京でも見てもらえたら、と思いながら、なかなかいい場所が思いつかず、5年も経ってしまいました。
くわしいことは、追って、お知らせしたいと思います。
つづけて、お知らせです。
詩人の真名井大介さんからお誘いをいただき、11月2日に、本屋・生活綴方で、「わたしの本を自らの手でつくる」というテーマで、真名井さん、いぬのせなか座の山本浩貴さんといっしょに話をします。
話、できるんでしょうか。わかりませんが、こちらも、くわしいことは、追って……。
洋書まつり、今年は10月20日〜21日に開催されます。今年も、ポスターとチラシをデザインしまして、来週には刷り上がってくる予定です。ヒロイヨミ社の、今の、本への想いが、あらわれているような気がします。なんとなく、ですが。
追伸 卓球(ふたたび)はじめました
2023年9月1日金曜日
拾い読み日記 291
おととい泳ぎにいって、今日もまた泳ぎにいった。今日は、筋トレにいくつもりだったのに。
20年近く泳がないでいたのに、なぜこんなに頻繁に泳いでいるのかといえば、窓からプールが見える、たぶん、ただそれだけの理由で。こんな単純さで、すべてのことは進んでいく。進んでいくとよい。
プールから、ときどき、窓を見た。もうひとりの自分が、こちらを眺めている。涼しい部屋で、お茶をのみながら。水のなかにいるたのしさも、水底の光も、泳いだあとの気だるさも知らずに。手で、足で、ひっしに水をかけば、ことばがなくなる。あたまが空になる。その、たとえようもない、自由な気分も知らずに。
Think of the longest trip home.
Should we have stayed at home and thought of here?
Where should we be today?
Should we have stayed at home and thought of here?
Where should we be today?
長い家路を考えてごらん。それとも ずっと
家に居て ここを想った方がよかったかしら?
今日 私たちは どこにいよう?
家に居て ここを想った方がよかったかしら?
今日 私たちは どこにいよう?
エリザベス・ビショップの「旅の問い」(小口未散訳)。午前中、どうしてだろうか、旅先にいるような心のはずみを感じて、読んだ詩。
水からあがって着替えているとき、ちいさな男の子の声を聞いた。「顔つけると、たのしいんだね」。そうだよ、と若い母親がこたえる。はじめて水に顔をつけることができた子どもに、またひとつできることがふえたね、という。
その子どもの声が、しばらく胸のなかで響いていた。それは、この夏に聞いた、もっともうつくしい声ではなかったろうか。
夕方のプールに風が吹いて、からだが冷えた。夏が終わるんだなあ、と思った。
2023年8月27日日曜日
拾い読み日記 290
手術するかな、どうなるかな、とぼんやりかんがえながら、窓のむこうの、プールで遊ぶおとなやこどもを眺めていると、うらやましいようなまぶしいような気持ちになるが、しかし自分だって、昨日の夕方には、あそこで泳いでいた。
4日前には、夫と泳ぎにいった。水泳部だった夫は、クロールでかろやかに泳ぐ。海水パンツがとても似合う。水泳帽を取ると、長い、ぬれた前髪が顔にかかって、なんだかいい感じ。ふだんの5割増しでかっこいいよ、というと、あいまいな表情で、胴が長いから海パンが似合うんだ、という。たしかに、彼の胴は長い。目に見えているより、長い。毎朝、その背中に薬を塗っているから、よく知っている。
手術するような病気も、全身麻酔もはじめてだから、不安のあまり、たくさん情報をあつめてしまって、つかれた。その手術は、医者がいうように、めずらしくない、むずかしくない手術のようだった。体験記もいろいろと読んだ。それでも、おそろしいものはおそろしい。おなかに穴を開けられるなんて。
決して、医者を信用していないわけではない。担当医は、30代だろうか。声は大きいが、威圧感はない。重みもない。どちらかといえば、いいひとだと思う。あのひと、いいひとなんだけど、声が大きいのよね、とか、いわれそうなタイプ。手術するかどうか、迷っていたら、とりあえずは手術のためのくわしい検査を、という流れになる。
ずっと読みすすめられなかった上田三四二『うつしみ』を手にした。病を得て、死を覚悟して、大きな手術を受け、その直後のくだりが、とくに心に残り、しかし理解できるような、できないような、つかみがたさがある。口からではなく、点滴によって潤されるからだについて、著者は、つぎのように書く。
(……)要するに私はこの直接的な補液の手段に——そのような手段によって養われながら身動きもならず横たわっている自分の身体に、生物というよりもむしろ物理的な自然を感じたのである。
ひとりのからだとは、装置によって生かされる、ひとつの物であるということ。自分のからだをまるごと人にゆだねることができたら、そのことが、実感として、わかるのだろうか。そうしたらなにか、変わるだろうか。自分のからだを人にゆだねる、というのは、自分のからだからの解放であり、自分のこころからの解放でもあるのだろう。つかのまであったとしても、それは、こころにとらわれ、からだのうちに閉ざされたものにとっては、大きな体験である。恐れのなかに、すこしの好奇心がまじりはじめたのは、この本のおかげである。
ひとりのからだとは、装置によって生かされる、ひとつの物であるということ。自分のからだをまるごと人にゆだねることができたら、そのことが、実感として、わかるのだろうか。そうしたらなにか、変わるだろうか。自分のからだを人にゆだねる、というのは、自分のからだからの解放であり、自分のこころからの解放でもあるのだろう。つかのまであったとしても、それは、こころにとらわれ、からだのうちに閉ざされたものにとっては、大きな体験である。恐れのなかに、すこしの好奇心がまじりはじめたのは、この本のおかげである。
夫に、うまく泳ぐコツをいくつか聞いた。水を掻くときに、のばした手が曲がらないようにすること。進む方向に指をぴんとのばして泳ぐと、はやく進むそうだ。一本の棒きれになった気持ちで泳ぐといいよ、という。棒きれの気持ちで泳ぐことは、むずかしいが、おもしろくて、くたくたになるまで泳いでも飽きない。
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