2019年10月21日月曜日

十一月の小冊子




展示のお知らせです。

「十一月の小冊子」

11月5日(火)—11月29日(金)
12:30—18:30(最終日17:00まで)
日・月・第3土曜(11月16日)休み

ウィリアム モリス 珈琲&ギャラリー
150−0002 渋谷区渋谷1−6−4 The Neat 青山2F
tel 03-5466-3717

尾形亀之助の、小さな詩集を作っています。
小さいだけでなく、とても、薄いです。

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その前に、今年もかまくらブックフェスタに参加します。
11月2日(土)、3日(日・祝)、今年は鎌倉で開催です。
『ほんほん蒸気』第5号、制作中です。
ブックフェスタのこと、くわしくは、こちらをご覧ください。

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思うところあり、ツイッターと日記をやめましたが、相変わらず、あまり本は読めない毎日です。

この秋にはまた、水中書店とわたしの「拾い読み日記」を載せた「ヒロイヨミ社通信」を作る予定でいますので、そちらもぜひ、お手にとっていただけたら、うれしいです。

11月、どこかでお目にかかれますように。

2019年7月1日月曜日

拾い読み日記 139


 今日も梅雨空。しだいに、曇天が、つらくなってきている。あたまの上に、ずしんと載っているよう。湿気のせいで、身体が重たい。やるべきことを、ちょっとずつこなす。よちよち歩きみたいな速度で進める。
 書こう書こうと思っていた手紙がようやく書けて、すこしだけ目の前の霧が晴れた。

 夜は静かな音楽をかけて、本を読んだ。須賀敦子『ヴェネツィアの宿』。何度か読んでいる気がするが、はじめの二編を読んで、今日はそこまで。いくつもの時間が絡み合わされたみごとな織物にくるまれているようで、胸がつまったり、あたためられたり、本を閉じたあとは、その織りかたのみごとさに、目眩のような感覚をおぼえた。

 とうとうここまで歩いてきた。ふと、そんな言葉が自分のなかに生まれ、私は、あのアヴィニョンの噴水のほとりから、ヴェネツィアの広場までのはてしなく長い道を、ほこりにまみれて歩きつづけたジプシーのような自分のすがたが見えたように思った。

2019年6月29日土曜日

拾い読み日記 138


 とある事情で、知らない人が引っ越して出ていった部屋に入ることに。いらないものは置きっぱなし、壁もドアもボロボロ。昨日まで住んでいたはずなのに、もう長いあいだ忘れ去られていた廃屋みたいだった。あまりに汚くて、気持ちが弱った。

 暮らすこととか、家という場所、部屋という空間についてかんがえさせられる。このマンションにいられるのは9月末まで。いくら取り壊しになるからといって、引っ越すときは、すこしでもいいので掃除して、気持ちよく、出ていきたい。
 ほんとうは、もっと住みたかったが、しようがない。もろもろの条件に納得もしている。飽きっぽいので、またあたらしい場所で生活をはじめられることは、いいのかもしれない、とも思う。片付けもできるし、気持ちがさっぱりする。

 今日やるべきしごとは終えたので、夜は、すきなように本を読もう。

 すぐれた日記を残したスイスの哲学者アミエルは言っております。「われわれは忙しすぎ、煩わされすぎ、働きすぎる。あまりにも活動的でありすぎる。あまりにも本を読みすぎる。仕事にきりをつける方法を知ることのほうが大切だ。しかしそれは怠けるということと同じ意味ではない。注意深い無為の状態にあって、魂の皺はなめらかにされ、魂自身はのび、ひろがり、新しく湧きあがり、道ばたの踏まれた草、またはいためられた木の葉のように、その傷をいやし、新しい、自然な、真実な、そして独創的なものとなってよみがえる。」書物へのまことの愛がもたらすものは、これであろうと私は信じております。(寿岳文章『書物とともに』布川角左衛門編、冨山房百科文庫)
 
 今日、いいこともあった。朝、先に起きていた夫が、ホットケーキが焼けるよ、といって起こしてくれたこと。そんな起こされ方は、はじめて。今朝の自分たちは、どこか、プーとコブタに似ていた気がする。

 Sufjan Stevens「Love yourself」を聞きながら。

2019年6月24日月曜日

拾い読み日記 137


 私の生涯はずっとこんなふうな出会いからなっていました。直線的でなく、反合理的なものだったのです。私はそうしたものを大事にしたいと思っています。そして、そうした出会いが起ったとき、それに気がつかずにやり過すことのない精神の素朴さを失わずにいたい。われわれが生きている社会的システムの中では、実に多くのことがそれと気づかれることなく過ぎていってしまうからです。いつも目覚めていることが必要だし、奇蹟を信ずることも大切です。何かを信じれば、それは現存し、現実のものとなる。

 ダニエル・シュミットの言葉、蓮實重彦『光をめぐって 映画インタヴュー集』より。かつて読んだ、ある部分を読み返したくて図書館で借りてきたが、その言葉は、記憶とはすこしちがっていた。自分のあたまの中にある表現のほうがいいな、と思ったが、これはべつの本で読んだ、ほかの誰かの言葉のようにも思える。

 図書館からの帰り道、しだいに雲がばらばらになっていって、青空が見えた。すうっとミント味の甘い飴をなめたような感覚。明日も青空が見られますように。

2019年6月23日日曜日

拾い読み日記 136


 今日もくもり空。雲が襞の多いカーテンみたいに空を覆っている。
 気圧のせいか、午後すこし頭痛。
 気ままに読書。鶴ヶ谷真一『記憶の箱舟』、山頭火の日記、斎藤史、若山牧水、笹井宏之の歌集など。

 書かざればわが歌消えむ六月のうつつに薄きながれ蛍や

 さかさまに我の毛並の撫でらるる恥辱汗ばみやすき六月

 ただよひのとめどもあらぬ魂ひとつ水のゆくへの白きみなつき

 『斎藤史歌集』(不識文庫)より。ノートに写す。書いたからおぼえるのか、書いたから忘れるのか、わからないけれど。

 何年か前にかまくらブックフェスタで会った人に、先日荻窪のとある酒席で声をかけられた。はじめはまったく思い出せなくて、わたしと? 話しましたか? わたしと? と応じていたが(失礼だったかも)、だんだんあぶり出しみたいにその人の記憶がよみがえってきて、しかし、そのとき何を話したのかは、ほとんど思い出せなかった。

 忘れてしまうと、自分の言動も、書いたことも、自分にとっては虚構のように感じられる。それは奇妙な感覚だが、その感覚を味わうのが、けっこうすきみたいだ。いくら忘れっぽい人間だ、とあきれても、あきれられても。

2019年6月22日土曜日

拾い読み日記 135


 一日、降ったりやんだり。6時半でも空が明るかった。今日は夏至。空のグレーが、いいなと思った。何か詠めないかと思ったが、つくってみても、いまいちだった。

 昨日は鎌倉へ。今月末で閉店するブックスモブロさんへ。変わった本が多くて、ぐるぐる棚をめぐるのが、おもしろかった。店主の荘田さんは、開店前、2011年の活版のイベントに来てくださった。混雑したちいさな会場で、一冊一冊、じっくり、あまりにもじっくり本を見てくださるので、この人、何者だろう……と、ちょっと不安になった、その人が、荘田さんだった。しばらくして、取り扱いたいとご連絡をいただいた。あの初対面の印象と、お店の棚の空気、そこにずれがないところに、安心するし、素敵だと思う。

 ずうっと前にいったnui-nui 1stに、そのとき買ったのと同じ刺繍のハンカチ(今は持ってない)を売っていたので、ちょっと感動して、また買った。同じものを作りつづけることが出来る人はいいなあ、と眩しいような気持ちになる。店主の方は年をとられても透明感があり、綺麗だった。年をとることでしか生まれない透明感が、あるようにも思う。

 鎌倉の行き帰りの電車で拾い読みしていたのは、ジャン‐ミシェル・モルポワの『エモンド』。

 言葉は暖かな息をする。それらは暖かくくるまっている。だれかが空の奥から呼ぶ。何も聞こえないが、お天気なのが見える。

 夜、水色と黄色と銀色の水彩絵の具で、小さな絵をいくつか描いた。青空と日差しが、恋しいのかもしれない。

2019年6月20日木曜日

拾い読み日記 134


 「変な夢だった。昨日みた写真集のせいで。仏蘭西麺麭と女。「眠ることは書くことそのものなのである」(口唇論)。孤独に形があるんだなって思いました。はずむ珠のような少女のような人の言葉。イメージと言葉が絶え間なく降り注いで層を成している。コラージュとしての軀。今日は何が貼られるだろう。」

 5年前の12月29日のツイートを、知らない人が、今日「いいね」したので、自分でも読み返した。細かいことをすっかり忘れている。フランスパンと女、の写真集とは、なんのことだろう? 「孤独に形があるんだなって」思ったのは、いったのは、誰? 

 書いていて、すこしだけ、思い出した。5年前、「ふることば」展で会った人だと思う。
 知らない人は、きっと、「口唇論」で検索したのだろう。勝手に索引がつけられるみたいで、おもしろい。
 写真集のことは、まったく思い出せない。変な夢のことも。

 午後、日野草城の全句集から、いくつかノートに書き写した。

 片恋やひとこゑもらす夜の蟬

 蒸し暑い日。昨日、風邪気味でくしゃみばかりして疲れたけれど、今日は、まあまあ、回復したみたい。