2025年7月18日金曜日

拾い読み日記 327


 「コンノさんの石は、まあまあですね」と、チャーミングな看護師さんがいった。すごく大きい石の人もいるんですよ、と。
 出てきた石は、10ミリ弱のものがふたつだった。このような塊がからだのなかで作られたなんて、しんじがたい。からだのなかでできたものが目の前にあることも、ふしぎでしかたがない。捨てたいけれど、もったいないような気がして、捨てないでおく。ときどきケースから出して、手のひらの上でころがしている。

 石は内蔵だ
 ブラヴォー,  ブラヴォー
 石は空気の幹だ
 石は水の枝だ

 (ハンス・アルプ「家族の石」)

 このところ、アルプの作品集を、たびたび繙いている。とりわけ彫刻作品に惹かれ、眺めていると、よい気持ちになるのはどうしてだろうか、とかんがえている。からだの奥にひそんでいるなめらかな芯を、なでられて、かたどられた、みたいだから? いびつで、きみょうで、のびやかなからだへの、あこがれがつのる。
 作品集を閉じたあと、水彩絵の具と筆で、てきとうにかたちを描いた。何のためでもなく、ただ、やってみたいから、そうした。