「コンノさんの石は、まあまあですね」と、チャーミングな看護師さんがいった。すごく大きい石の人もいるんですよ、と。
出てきた石は、10ミリ弱のものがふたつだった。このような塊がからだのなかで作られたなんて、しんじがたい。からだのなかでできたものが目の前にあることも、ふしぎでしかたがない。捨てたいけれど、もったいないような気がして、捨てないでおく。ときどきケースから出して、手のひらの上でころがしている。
石は内蔵だ
ブラヴォー, ブラヴォー
石は空気の幹だ
石は水の枝だ
(ハンス・アルプ「家族の石」)
このところ、アルプの作品集を、たびたび繙いている。とりわけ彫刻作品に惹かれ、眺めていると、よい気持ちになるのはどうしてだろうか、とかんがえている。からだの奥にひそんでいるなめらかな芯を、なでられて、かたどられた、みたいだから? いびつで、きみょうで、のびやかなからだへの、あこがれがつのる。
作品集を閉じたあと、水彩絵の具と筆で、てきとうにかたちを描いた。何のためでもなく、ただ、やってみたいから、そうした。