手術が「一瞬です」といったのは外科医で、もちろん、胆嚢摘出手術が一瞬で終わるわけはなく、つまり、彼は手術をする側でなく受ける側の感覚のことをいったのだ。目を閉じて、開いたら、もう終わっていると。手品みたいだ、と思ったせいだろうか。臍から内臓でなく鳩が出てくるイメージが、しばらくあたまから離れなかった。
外科医はいつも、外科医らしく、キッパリしたもののいいかたをした。むだなことは、一切いわない。手術がはじめてだから、ちょっと怖い、といえば、「あたりまえです」。手術後には「予定どおりです」。翌日に、傷が痛いと伝えると、「昨日の今日だから」といった。
しかし、邪気がなく、まっすぐな目をしているので、さほどつめたい感じはしなかった。
退院の日の朝には、前日とさほど変わっていない臍まわりを凝視したあと、傷口のテープを、明日剥がすように、と指示した。そのあとは、「野ざらしで」。野ざらしの臍とは何か。傷跡には何も貼らないように、ということだった。
入院の3日前に印刷所で立ち会いがあり、そのあと寄った本屋で買ったポール・オースター『オラクル・ナイト』を読みすすめる。「私は長いあいだ病気だった。」という一文からはじまる小説だ。
何もかもが揺らぎ、ふらつき、いろんな方向に飛び出していって、最初の何週間かは、どこで自分の体が終わってどこから外界がはじまるのかも定かでなかった。
本は、すこし読んでみて、いけそうだ、と思わないと買わない。とくに小説は。2ページ目の、この文章を読んだから、この本を手に入れた。病のあとの、ややおとろえた身体で読むと、虚と実の境目だってあいまいになる。今朝は、求婚してきた人と連絡がとれなくなる夢をみた。うたがいようがなく、『オラクル・ナイト』の影響で。